遊嶺門山  #1 謝霊運<21>  詩集 388
(嶺門山に遊ぶの詩)


この冬は嶺門山にも遊び、詩を作っている。この嶺門山は、永嘉から南30kmほどにある瑞安県にあるという。諸道具、寝具などすべてそろえ、お付の人々を連れての旅であるから、その往復には相当の日数がかかるのである。謝霊運は永嘉を中心に名山を求めて、北に、南に旅をしている。「嶺門山に遊ぶ」の詩もそのひとつである。

遊嶺門山
西京誰修政?龔汲稱良吏。
西の帝都において、誰が治政をするというのか、龔汲は提供したり汲みあげたり理想の政治を行った優良な官僚と称せられる。
君子豈定所,清塵慮不嗣。
君子はどうして思いを押し付けはしないから爭わないのであろうか、立派な遺風というものは後世に受け継いでいけないようではと心配する。
早莅建德鄉,民懷虞芮意。
そういうことで心に早くきめて理想郷に行きたいと思う。民の間では譲り合う心を思い続けることである。
海岸常寥寥,空館盈清思。
隠棲したら)寒い冬には海にはさびしい音が常のことである。ひと気のない館には清々しい思いが満ち溢れている。
協以上冬月,晨遊肆所喜。』
(こうした冬の景色が一緒になっている。明日にはこうした山遊びを心行くまでしてよろこびたいと思う。
千圻邈不同,萬嶺狀皆異。
威摧三山峭,瀄汩兩江駛。
漁舟豈安流,樵拾謝西芘。
人生誰雲樂?貴不屈所志。』


(嶺門山に遊ぶ)#1
西京にては誰か政を修める、龏汲【きょうきゅう】は良吏と称せらる。
君子は 豈 所を定めんや、清塵【せいじん】が嗣【つ】がざるを慮【おもんばか】る。
早くも莅【のぞ】む建徳の郷、民は虞芮【ぐぜい】の意【こっころ】を懐【なつ】かしむ。
海岸は常に寥寥として、 空館は清き思いに盈【み】つ。
協【あ】わするに以ってす上冬【さむ】き月、晨【あした】の遊びは喜ぶ所を肆【ほしい】ままにす。

#2
千圻【せんせき】は邈【かたち】 同じからず、万嶺は状 皆な異なる。
威摧【そび】ゆる三山は峭【けわ】しく、瀄汩【そび】は両つの江に駛【はや】し。
漁商は 壹 流れに安んぜんや、樵は西芘【にしかげ】に謝【お】つるを拾う。
人生誰か楽と云う、志す所に屈せざるを貴ぶ。


現代語訳と訳註
(本文) 遊嶺門山

西京誰修政?龔汲稱良吏。
君子豈定所,清塵慮不嗣。
早莅建德鄉,民懷虞芮意。
海岸常寥寥,空館盈清思。
協以上冬月,晨遊肆所喜。』


(下し文) #1
西京にては誰か政を修める、龏汲【きょうきゅう】は良吏と称せらる。
君子は 豈 所を定めんや、清塵【せいじん】が嗣【つ】がざるを慮【おもんばか】る。
早くも莅【のぞ】む建徳の郷、民は虞芮【ぐぜい】の意【こっころ】を懐【なつ】かしむ。
海岸は常に寥寥として、 空館は清き思いに盈【み】つ。
協【あ】わするに以ってす上冬【さむ】き月、晨【あした】の遊びは喜ぶ所を肆【ほしい】ままにす。


(現代語訳)
西の帝都において、誰が治政をするというのか、龔汲は提供したり汲みあげたり理想の政治を行った優良な官僚と称せられる。
君子はどうして思いを押し付けはしないから爭わないのであろうか、立派な遺風というものは後世に受け継いでいけないようではと心配する。
そういうことで心に早くきめて理想郷に行きたいと思う。民の間では譲り合う心を思い続けることである。
(隠棲したら)寒い冬には海にはさびしい音が常のことである。ひと気のない館には清々しい思いが満ち溢れている。
こうした冬の景色が一緒になっている。明日にはこうした山遊びを心行くまでしてよろこびたいと思う。

(訳注) #1
西京誰修政?龔汲稱良吏。
西京にては誰か政を修める、龏汲【きょうきゅう】は良吏と称せらる。
西の帝都において、誰が治政をするというのか、龔汲は提供したり汲みあげたり理想の政治を行った優良な官僚と称せられる。
龔汲 供給する。ささげる。たてまつりくみ取る。漢の龔汲のこと 『漢書 龔汲傳』に渤海の太守となった 龔汲は理想の政治を行った。○ 称せらる。 ○良吏 優良な官僚。


君子豈定所,清塵慮不嗣。
君子は 豈 所を定めんや、清塵【せいじん】が嗣【つ】がざるを慮【おもんばか】る。
君子はどうして思いを押し付けはしないから爭わないのであろうか、立派な遺風というものは後世に受け継いでいけないようではと心配する。
君子 論語「子曰く君子は爭うところなし。」○清塵 顕貴の人の車馬の行列。立派な遺風。


早莅建德鄉,民懷虞芮意。
早くも莅【のぞ】む建徳の郷、民は虞芮【ぐぜい】の意【こっころ】を懐【なつ】かしむ。
そういうことで心に早くきめて理想郷に行きたいと思う。民の間では譲り合う心を思い続けることである。
 その場に行く。○建德鄉 有徳の人がいるという国。荘子『山木』「南越有邑焉、名爲建徳国。」(南越に邑あり、名付けて建徳の国という。)○虞芮意 譲り合う心。


海岸常寥寥,空館盈清思。
海岸は常に寥寥として、空館は清き思いに盈【み】つ。
(隠棲したら)寒い冬には海にはさびしい音が常のことである。ひと気のない館には清々しい思いが満ち溢れている。


協以上冬月,晨遊肆所喜。』
協【あ】わするに以ってす上冬【さむ】き月、晨【あした】の遊びは喜ぶ所を肆【ほしい】ままにす。
こうした冬の景色が一緒になっている。明日にはこうした山遊びを心行くまでしてよろこびたいと思う。