遊嶺門山  #2 謝霊運<21>  詩集 389

この冬は嶺門山にも遊び、詩を作っている。この嶺門山は、永嘉から南30kmほどにある瑞安県にあるという。諸道具、寝具などすべてそろえ、お付の人々を連れての旅であるから、その往復には相当の日数がかかるのである。謝霊運は永嘉を中心に名山を求めて、北に、南に旅をしている。「嶺門山に遊ぶ」の詩もそのひとつである。

遊嶺門山
西京誰修政?龔汲稱良吏。
君子豈定所,清塵慮不嗣。
早莅建德鄉,民懷虞芮意。
海岸常寥寥,空館盈清思。
協以上冬月,晨遊肆所喜。』
千圻邈不同,萬嶺狀皆異。
千とある船着き場も漠然として同じなものはなく、万とある山々の峰は一つとして同じものはないのである。
威摧三山峭,瀄汩兩江駛。
ここにある隠棲して修行をする三山は、どこも嶮しい所である。そして二つの流れのはやい川から水の流れる音が伝わってくるのである。
漁舟豈安流,樵拾謝西芘。
漁船はどうして安全に流れていくのであろうか。漁師というものは西に日が落ちて吊り上げ捕獲するからである。
人生誰雲樂?貴不屈所志。』

人生はどうして楽なことだと誰が言うのか、大切なことは、どういうことが生じても志を枉げない不屈の精神を持つことである

(嶺門山に遊ぶ)#1
西京にては誰か政を修める、龏汲【きょうきゅう】は良吏と称せらる。
君子は 豈 所を定めんや、清塵【せいじん】が嗣【つ】がざるを慮【おもんばか】る。
早くも莅【のぞ】む建徳の郷、民は虞芮【ぐぜい】の意【こっころ】を懐【なつ】かしむ。
海岸は常に寥寥として、 空館は清き思いに盈【み】つ。
協【あ】わするに以ってす上冬【さむ】き月、晨【あした】の遊びは喜ぶ所を肆【ほしい】ままにす。
#2
千圻【せんせき】は邈【かたち】 同じからず、万嶺は状 皆な異なる。
威摧【そび】ゆる三山は峭【けわ】しく、瀄汩【しついつ】は両つの江に駛【はや】し。
漁舟は 壹 流れに安んぜんや、樵は西芘【にしかげ】に謝【お】つるを拾う。
人生誰か楽と云う、志す所に屈せざるを貴ぶ。


現代語訳と訳註
 遊嶺門山(本文)

千圻邈不同,萬嶺狀皆異。
威摧三山峭,瀄汩兩江駛。
漁舟豈安流,樵拾謝西芘。
人生誰雲樂?貴不屈所志。』

(下し文)#2
千圻【せんせき】は邈【かたち】 同じからず、万嶺は状 皆な異なる。
威摧【そび】ゆる三山は峭【けわ】しく、瀄汩【しついつ】は両つの江に駛【はや】し。
漁舟は 壹 流れに安んぜんや、樵は西芘【にしかげ】に謝【お】つるを拾う。
人生誰か楽と云う、志す所に屈せざるを貴ぶ。


(現代語訳)
千とある船着き場も漠然として同じなものはなく、万とある山々の峰は一つとして同じものはないのである。
ここにある隠棲して修行をする三山は、どこも嶮しい所である。そして二つの流れのはやい川から水の流れる音が伝わってくるのである。
漁船はどうして安全に流れていくのであろうか。漁師というものは西に日が落ちて吊り上げ捕獲するからである。
人生はどうして楽なことだと誰が言うのか、大切なことは、どういうことが生じても志を枉げない不屈の精神を持つことである


(訳注)
千圻邈不同,萬嶺狀皆異。
千圻【せんせき】は邈【かたち】 同じからず、万嶺は状 皆な異なる。

千とある船着き場も漠然として同じなものはなく、万とある山々の峰は一つとして同じものはないのである。
千圻 多くあるへり、きし。船着き場。『富春渚詩』 「宵濟漁浦潭。旦及富春郭。定山緬雲霧。赤亭無淹薄。溯流觸驚急。臨圻阻參錯。亮乏伯昏分。險過呂梁壑。」(宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。)わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。
 はるか。ばくぜんとしたもの○萬嶺 沢山ある山の峰。○狀皆異 その形状は皆変わっている。


威摧三山峭,瀄汩兩江駛。
威摧【そび】ゆる三山は峭【けわ】しく、瀄汩【そび】は両つの江に駛【はや】し。
ここにある隠棲して修行をする三山は、どこも嶮しい所である。そして二つの流れのはやい川から水の流れる音が伝わってくるのである。
威摧 威光をもってはばむ。○三山 太平山、天台山、方石山。本来三山と云えば、蓬萊、方丈、瀛州の三山である。○瀄汩 瀄汩は水の流れる音、水流の早いことを示す形容。 汩はおさめる。とおす。ながれる。○兩江駛 二つの川の流れが速いこと言う。


漁舟豈安流,樵拾謝西芘
漁舟は 豈 流れに安んぜんや、樵は西芘【にしかげ】に謝【お】つるを拾う。 
漁船はどうして安全に流れていくのであろうか。漁師というものは西に日が落ちて吊り上げ捕獲するからである。
○漁舟 漁船○安流 安全に流れ○樵拾 漁師が獲物を集める。○西芘 西に山があり日が落ちるころ日陰になる、猟師の姿が魚にわかりにくい。


人生誰雲樂?貴不屈所志。』
人生誰か楽と云う、志す所に屈せざるを貴ぶ。
人生はどうして楽なことだと誰が言うのか、大切なことは、どういうことが生じても志を枉げない不屈の精神を持つことである。

 自然を詠うかのポーズをとり、体制批判を詠っているのである。態度が鮮明になってくることは隠棲の気持ちがいよいよ強くなってきた表れであろう。


古来より、山遊びというのは、高級官僚には優雅な遊びととらえられていた。すべての生活用品を準備し、荷車、輿、など行列を仕立てて山に入った。戸張で仕切り、優雅に遊んだのである。
 この詩では聖人が治政をするものである。今の世誰がそれにあたるというのか、権力闘争に明け暮れ、民の安寧することがないではないか。