游赤石進帆海詩 謝霊運<27>#2 詩集 400 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1017


温州、永嘉に来て、時には足を遠くへ伸ばし、赤石にも遊んだ。赤石とは李書は『遊名山志』の「永寧・安国の二県の中路の東南は便ち走れ赤石にして、又た海に枕む」を引用して説明する。つまり、永寧は今の永嘉県、安回は安国のことで瑞安県とする。このとき作ったのが「赤石に遊び、進みて海に汎ぶ」の詩で、『文選』の巻二十二の 「遊覧」に選ばれている。


謝霊運『游赤石進帆海』詩
「揚帆采石華、掛席拾海月。」(帆を揚げて石華を采り、席を掛げて海月を拾う。)


遊赤石進帆海
作者:謝靈運 《昭明文選•卷二十二》


遊赤石進帆海
首夏猶清和,芳草亦未歇。
水宿淹晨暮,陰霞屢興沒。
周覽倦瀛壖,況乃陵窮髮。
川后時安流,天吳靜不發。』
揚帆采石華,挂席拾海月。
そこで私は帆をあげて船を進め、石についた華のような海草を采り、むしろ帆を揚げて舟を進め、海中の月のようなくらげを拾うのである。
溟漲無端倪,虛舟有超越。
底の暗い水のみなぎる海ははてしもない。その上を主役の乗っていない虚しい舟が自然遠くに漂い行くように、望みを捨てた私の舟路は液のまにまに、浮き世のかなたに遠く馳せて行くようである。
仲連輕齊組,子牟眷魏闕。
魯仲運は斉の卿相の印綬の組紐を物の数とも思わずに、海辺に去った廉潔の烈士であり、中山の公子牟は詹子に「身江海の上に在りても、心は訊問(城門の前にある左右の高い楼のようなもの)の下に居【お】かばいかん」といい、常に朝廷のことを忘れないのであった。
矜名道不足,適己物可忽。
それは、世間の名声(プライド)をほこることは、万象の根源である道、徳を充分に会得することはできないものであり、自己の志にかなう生きかたをしたなら、本来大切でない外物をおろそかにして忘れることができるのである。
請附任公言,終然謝天伐。』

孔子が陳で囲まれたとき、大公任が行って弔して「直木はまず伐られ、甘泉はまず枯渇【つ】きる、故に貴君は智徳のすぐれた人だから免れないのだ」といったことばに従って、ついには年若くて伐られる木の不幸をまぬがれたいものである。私は世の役に立たずとも、そのために自然の生命を全うしたいと切に願うのである。


(赤石に遊んで進んで海に泛ぶ)

首夏【しょか】猶お 清和にして,芳草も亦た 歇【や】まず。
水に宿り 晨暮【しんぼ】に淹【とど】まる,陰【かげ】る霞は 屢々 興こり沒しぬ。
周覽し 瀛壖【うみべ】に倦【う】む,況んや 乃ち窮髮【あれち】を陵るや。
川后【かわのかみ】は 時に流れを安んじ,天吳【わだつみのかみ】は靜にして 發せず。

帆を揚げて石華【ところてん】を采り、席を掛【かか】げて 海月【たいらぎかい】を拾う。
溟漲【みなみのうみ】は端倪【はじ】無きも,虛舟【かろきふね】は 超越する有り。
仲連【[魯]ちゅうれん】は齊組【せいそ】を輕んじ,子牟【[公]しぼう】は魏の闕を眷【した】い。
名に矜【ほこ】れば 道に足らず,己に適【かな】えば物も忽【わす】る可し。
請うらくは任公の言に附き,終然【つい】に天伐【はやくきられる】を謝【さ】らんことを。

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現代語訳と訳註
(本文)#2

揚帆采石華,挂席拾海月。
溟漲無端倪,虛舟有超越。
仲連輕齊組,子牟眷魏闕。
矜名道不足,適己物可忽。
請附任公言,終然謝天伐。』


(下し文)#2
帆を揚げて石華【ところてん】を采り、席を掛【かか】げて 海月【たいらぎかい】を拾う。
溟漲【みなみのうみ】は端倪【はじ】無きも,虛舟【かろきふね】は 超越する有り。
仲連【[魯]ちゅうれん】は齊組【せいそ】を輕んじ,子牟【[公]しぼう】は魏の闕を眷【した】い。
名に矜【ほこ】れば 道に足らず,己に適【かな】えば物も忽【わす】る可し。
請うらくは任公の言に附き,終然【つい】に天伐【はやくきられる】を謝【さ】らんことを。


(現代語訳)
そこで私は帆をあげて船を進め、石についた華のような海草を采り、むしろ帆を揚げて舟を進め、海中の月のようなくらげを拾うのである。
底の暗い水のみなぎる海ははてしもない。その上を主役の乗っていない虚しい舟が自然遠くに漂い行くように、望みを捨てた私の舟路は液のまにまに、浮き世のかなたに遠く馳せて行くようである。
魯仲運は斉の卿相の印綬の組紐を物の数とも思わずに、海辺に去った廉潔の烈士であり、中山の公子牟は詹子に「身江海の上に在りても、心は訊問(城門の前にある左右の高い楼のようなもの)の下に居【お】かばいかん」といい、常に朝廷のことを忘れないのであった。
それは、世間の名声(プライド)をほこることは、万象の根源である道、徳を充分に会得することはできないものであり、自己の志にかなう生きかたをしたなら、本来大切でない外物をおろそかにして忘れることができるのである。
孔子が陳で囲まれたとき、大公任が行って弔して「直木はまず伐られ、甘泉はまず枯渇【つ】きる、故に貴君は智徳のすぐれた人だから免れないのだ」といったことばに従って、ついには年若くて伐られる木の不幸をまぬがれたいものである。私は世の役に立たずとも、そのために自然の生命を全うしたいと切に願うのである。


(訳注)
揚帆采石華,挂席拾海月。

そこで私は帆をあげて船を進め、石についた華のような海草を采り、むしろ帆を揚げて舟を進め、海中の月のようなくらげを拾うのである。
揚帆 帆をあげて船を進め。○石 海藻の名、ところてんの原料。珊瑚の名。いわ蘚。かき。石にさく花。○挂席 帆をあげる。席はむしろ。挂帆。○海月 海の中の月のようなくらげ。唐・孟浩然は謝霊運のこの詩に影響を受け次の詩を作っている。
晩泊潯陽望香爐峰』 孟浩然
掛席幾千里,名山都未逢。
泊舟潯陽郭,始見香爐峰。
嘗讀遠公傳,永懷塵外蹤。
東林精舍近,日暮但聞鐘。

(晩 潯陽に泊して香爐峰を望む)
席を掛けて幾千里、名山 都て未だ逢はず。
舟を潯陽の郭に泊め、始めて香爐峰を見たり。
嘗て遠公の伝を読み、永く塵外の蹤を懐く。
東林精舎近く、日暮れて 但【た】だ 鐘を聞けり。

●孟浩然の詩を詠んでいると時々、謝霊運を呼んでいたのかと間違えることがある。謝霊運の影響が最も大きかったのは、孟浩然であると筆者は感じている。それは、謝霊運の造語がよくつかわれていること。辞書を調べると。唐以前の詩人として謝霊運が圧倒的に多いこと。



溟漲無端倪,虛舟有超越。
底の暗い水のみなぎる海ははてしもない。その上を主役の乗っていない虚しい舟が自然遠くに漂い行くように、望みを捨てた私の舟路は液のまにまに、浮き世のかなたに遠く馳せて行くようである。
溟漲 底の暗い水のみなぎる海○端倪 きわ、はし、はじめからおわりまで。○虛舟 主役の乗っていない虚しい舟。


仲連輕齊組,子牟眷魏闕。
魯仲運は斉の卿相の印綬の組紐を物の数とも思わずに、海辺に去った廉潔の烈士であり、中山の公子牟は詹子に「身江海の上に在るも、心は魏闕(城門の前にある左右の高い楼のようなもの)の下に居【お】かばいかん」といい、常に朝廷のことを忘れないのであった。
仲連 『史記』の魯仲連伝の物語。魯仲連は、斉が柳城を攻めたときの功績により爵位を与えられようとした(卿相の印綬の組紐)が、それを避けて海上に隠れたという、○ 物の数とも思わず○齊組 齊の爵位。齊の卿相の印綬の組紐という表現がなされている。○子牟 魏の公子牟は江海のほとりにおりつつも、魏の宮廷のことを懐かしがったという『呂氏春秋』「中山の公子牟は詹子に謂って日く、身は江海の上に在るも、心は魏闕の下に居【お】かばいかんと」とある。の物語を引用している。○魏闕 魏の宮廷。闕は宮殿の門の左右傍にある潜り門。官僚が入る門のこと。『荘子』の大公任の故事を引いて、自分もこのように人生を送りたいとの顧望を述べる。


矜名道不足,適己物可忽。
それは、世間の名声(プライド)をほこることは、万象の根源である道、徳を充分に会得することはできないものであり、自己の志にかなう生きかたをしたなら、本来大切でない外物をおろそかにして忘れることができるのである。
矜名 世間の名声(プライド)をほこる。○道不足 万象の根源である道、徳を充分に会得することはできない。道教でいう「道」ではないから、道と徳とした。○適己 自己の志にかなう生きかたをする。○物可忽 本来大切でない外物をおろそかにして忘れる。


請附任公言,終然謝夭伐。』
孔子が陳で囲まれたとき、大公任が行って弔して「直木はまず伐られ、甘泉はまず枯渇【つ】きる、故に貴君は智徳のすぐれた人だから免れないのだ」といったことばに従って、ついには年若くて伐られる木の不幸をまぬがれたいものである。私は世の役に立たずとも、そのために自然の生命を全うしたいと切に願うのである。
請附 ことばに従って○任公言 名誉欲を離れて静かに人生を送るべきだという『荘子』の大公任の故事を引用。孔子が陳で囲まれたとき、大公任が行って弔して「直木はまず伐られ、甘泉はまず枯渇【つ】きる、故に貴君は智徳のすぐれた人だから免れないのだ」といった。自分もこのように人生を送りたいとの願望を述べる。○終然 ついには~を切に願う。○ 免れる。○夭伐 年若くて伐られる木。