斎中讀書 謝霊運<32>#2 詩集 410  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1047


斎中讀書
昔余遊京華、未嘗廢邱壑。
矧乃歸山川、心跡兩寂漠。
虚館絶諍訟、空庭來鳥雀。
臥疾豐暇豫、翰墨時間作。』
懐抱觀古今、寢食展戯謔。
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲して農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
萬事難竝歓、達生幸可託。』
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。

斎中に書を読む
昔、余【われ】京華【けいか】に遊べども、未だ嘗て邱堅【きゅうがく】を廢【す】てざりき。
矧【いわん】や乃ち山川に歸るをや、心跡【しんせき】兩【ふたつ】ながら寂漠【せきばく】たり。
虚館【きょかん】諍訟【そうしょう】絶え、空庭【くうてい】鳥雀【ちょうじゃく】來る。
疾に臥して暇豫【かよ】豐かに、翰墨【かんぼく】時に間【ま】ま作る。
#2
懐抱【かいほう】に古今を觀て、寝食に戯謔【ぎぎゃく】を展【の】ぶ。
既に沮溺【そでき】の苦を笑ひ、又子雲の閣を哂【わら】ふ。
執戟【しつげき】も亦以に疲る。耕稼【こうか】壹云【ここ】に樂しまんや。
萬事竝【なら】びに歓び難し、達生【たっせい】幸に託す可し。


現代語訳と訳註
(本文)

懐抱觀古今、寢食展戯謔。
既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
萬事難竝歓、達生幸可託。』


(下し文)#2
懐抱【かいほう】に古今を觀て、寝食に戯謔【ぎぎゃく】を展【の】ぶ。
既に沮溺【そでき】の苦を笑ひ、又子雲の閣を哂【わら】ふ。
執戟【しつげき】も亦以に疲る。耕稼【こうか】壹云【ここ】に樂しまんや。
萬事竝【なら】びに歓び難し、達生【たっせい】幸に託す可し。

(現代語訳)
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲して農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。


(訳注)
懐抱觀古今、寢食展戯謔。
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
戯謔 戯れや戯言をいう。戯と謔。


既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲をさそって農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
沮溺苦 『論語』「微子篇」孔子一行が南方を旅した際に出会った百姓の長沮と桀溺という人物が子路を捕まえて「世間を避ける我々のようにならないか」と言う。農耕の経験のない儒者があざけられたことをいう。○子雲閣 漢の楊雄は高官ではないが文人・学者で名をはせていた。王莽の乱で助言をしたことで、司直の手を逃れられぬと感じた揚雄は、天禄閣の上から投身自殺を図る。それは揚雄の一人合点で、結局大怪我はしたものの、生命に別状はなく、自殺未遂に終わった。しかし、このことは、都中に知れ渡るところとなった。当時流行った俗謡に言う「惟(こ)れ寂惟れ寞にして自ら閣より投じ、爰(ここ)に清爰に静にして符命を作る」(揚雄自身が作った「解嘲賦」の一節を捩っている)。


執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
執戟 侍郎の役目がら、戟を執って宮庭に立って護衛の任に当たった。○耕稼 耕したり種を蒔いたりずる農事。
*道家の盲目的思考性や儒者の教条的なことを謝霊運は揶揄している。


萬事難竝歓、達生幸可託。』
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。
萬事 他方から見ること、多面的に思考していくこと。○達生 莊子外篇達生十九を勉学すること。