初去郡 謝靈運<34>#1 詩集 412  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1053
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)


永嘉を去る
『宋書』の本伝に次のように記されている。

郡に在り三周し、疾いと称して職を去る。従弟の晦【かい】・曜【よう】・弘徴【こうび】等並びに書を与えて之を止むるも従わず。


謝霊運は永嘉に着任してから熱心にその地方の政治に当たりつつ、また、心の寂しさを慰めるため、付近の名勝を訪ねているうちに、またたくまに一年は夢のごとく去ってしまった。この時代では格差が大きく小さな田舎町ではともに志を語り、学にいそしむ友もないことで、病を回復するまでこの地に留まる意欲はなかった。肝臓系の病気の場合、倦怠感でたまらなかったものである。謝霊運にとっては、一日も早く親戚や親しい友人のいる町に帰りたいと思うのであった。


一方で、永嘉にいるあいだ、中央政府の動向は謝霊運にとって少しも有利な方向にはならなかった。結局、親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。

謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。


初去郡#1
初めて永嘉郡を去る。
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
或可優貪競,豈足稱達生?
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」

私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。

#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(初めて郡を去る)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」


(下し文)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。


(現代語訳)
初めて永嘉郡を去る。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。


 (訳注) 初去郡 #1
初めて永嘉郡を去る。
初去郡 謝霊運は永嘉郡の太守になって二年、疾と称して去り、姶寧に帰った。


彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
彭薛 彭宣と薛広徳。漢の哀帝の時に、彭は大司空、薛は御史大夫となる。王奔の専横を恥じて辞職した。宦官の横行である。漢王朝は、一時皇帝の外戚、王奔(おうもう)に権力を奪われることをいう。○貢公 貢禹。宣帝の時に、河南の令、元帝の時に光禄大夫となった。親友王陽が登用されると、自分も挽推を期待して喜んだ。前漢のころ貢禹(こうう)の親友の王吉(おうきつ)が任官すると、貢禹は自分も任用される希望が出てきたと、冠のほこりを払って喜んだという故事。


或可優貪競,豈足稱達生?
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
貪競 爵禄をむさぼり競う。○達生 生命の眞實のありかたに通ずる。莊子外篇達生十九


伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
秉微尚 わが取るに足りない主義を守る。尚は好みたっとぷこと。○拙訥 世なれず口下手。○謝浮名 根のない世間の評判を辞退する。


廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。
 いおり。○棲巖 住まいとする巌の洞窟。○卑位 卑しい地位の太守の官に就任したこと。