初去郡 謝靈運<34>#2 詩集 413  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1056
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)


親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。
謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の2回目。



初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。

このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
無庸妨周任,有疾像長卿。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(初めて郡を去る)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」


(下し文)#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。

(現代語訳)
このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。


(訳注) #2
顧己雖自許,心跡猶未並。
このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
心跡猶末井 心と行跡とは一致しない。

無庸妨周任,有疾像長卿。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
 力量、手柄。○周任 論語季氏篇「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止、危而不持、顛而不扶、則将焉用彼相矣、且爾言過矣、児虎出於甲、亀玉毀於櫝中、是誰之過与。」(孔子曰く、求よ、周任(しゅうにん)に言あり曰く、力を陳べて(のべて)列に就き、能わざれば止む(やむ)と。危うくして持せず、顛(くつがえ)って扶け(たすけ)ずんば、則ち将た(はた)焉んぞ(いずくんぞ)彼(か)の相(しょう)を用いん。且つ爾(なんじ)の言は過てり。虎・児(こじ)、甲より出で、亀玉(きぎょく)、櫝中に毀たれば(こぼたれば)、是れ誰の過ちぞや。)に「孔子曰く、求、周任言へる有りて曰く、力を陳べて列(官職)に就き、能はざれば止むと」とある。「周任古之良史也。」古の良史という。○像長卿 司馬長卿(相如)に似ている。漢書に「司馬長卿、消渇有疾、閑居不慕官爵」(司馬長卿に消渇の疾有り、閑居して官爵を慕はず)とある。相如は有る段階から官職や爵位にまるで興味を示さなくなり、病気と称して家で文君と共に気楽に暮らした。相如にはどもりと糖尿病の持病があった。


畢娶類尚子,薄遊似邴生。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
尚子 尚長、字は子平。男女の子供が結婚した後は、家事に関係せず、死んだようにして暮らした(高士伝)。○薄遊 遊宦(役人生活)をなすことが薄い。薄禄に甘んじたこと。○邴生 漢書「邴丹曼容養志自修,為官不肯過六百石,輒自免去。」(邴生、名は丹、字は曼容、志を養い自ら修む。官と為りて敢えて六百石を過ぎず、輒ち免じて去ると。)


恭承古人意,促裝反柴荊。」
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。
促装 旅装を急ぎ着ける。