初去郡 謝靈運<34>#3 詩集 414  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1059
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)

親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。
謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の3回目。

初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
負心二十載,於今廢將迎。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。

#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」


(下し文)#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。

 
(現代語訳)
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。


(訳注) #3
牽絲及元興,解龜在景平。
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
牽糸 405年初めて仕えたこと。印綬の組み糸を垂れて牽く。○及元典 元興(晉の安帝の年号)改元の時になっていた。晋(晉、しん、265年 - 420年)は、中国の王朝の一つ。司馬炎が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国した。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させる。通常は、匈奴(前趙)に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼び分けている○解亀 腰の金色の飾り物を解いて辞職すること。○景平 宋の少帝423・424の年号。宋(そう、420年 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓から劉宋とも呼ばれる。420年に劉裕(高祖・武帝)が、東晋の恭帝から禅譲を受けて、王朝を開いた。東晋以来、貴族勢力が強かったものの、貴族勢力との妥協のもと政治を行なった。文帝の治世は元嘉の治と呼ばれ、国政は安定したが、文帝の治世の末期には北魏の侵攻に苦しむようになった。
 

負心二十載,於今廢將迎。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
負心 隠退の志にそむく。○将迎 荘子知北遊篇に「将【おく】る所有る無く、迎ふる所有る無し」と。“聖人は物の世界に身を置いて物を傷つけることがない。物を傷つけることがない聖人に対しては物の方でも傷つけようがないのである。そして、このように物を傷つけ己れを傷つけることのないものだけが他人と交わって無心に送り迎えすることができる“ということにもとづいている。


理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
理棹 舟、棹を整える。○遄還期 帰る準備。○遵渚 川の渚に沿う。○騖脩坰 長い郊野。


溯溪終水涉,登嶺始山行。」
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。
溯溪 谷川をさかのぼる。○終水涉 竟に水を渡る。○登嶺始山行 山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。