初去郡 謝靈運<34>#4 詩集 415  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1062
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)

親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。

謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の4回目。


初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」

すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)

#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(下し文)#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


(現代語訳)
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)


(訳注) #4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。


憩石挹飛泉,攀林搴落英。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。


戰勝臞者肥,止監流歸停。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
戰勝臞者肥 『韓非子、喻老』「子夏曰:「吾入見先王之義則榮之,出見富貴之樂又榮之,兩者戰於胸中,未知勝負,故臞。今先王之義勝,故肥。」(子夏曰く:吾入りて 先王の義を見れば 則ち之を榮とし,出でて富貴を見れば 之を樂とし又 之を榮とす,兩者胸中に於て戰ふ,未だ勝負を知らず,故に臞せたり。今先王の義を見て勝てり,故に肥えたり。)○止監流歸停 文子(人は流水に鑑(かんが)みること莫く、止水に鑑みる。 →明鏡止水)


即是羲唐化,獲我擊壤聲!」
すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)
羲唐化 三皇五帝のことで、伏義と唐堯とが無爲にして世を収めた時の天子の民に対する影響。○擊壤 堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事。撃壤 〔撃壌歌の故事から〕 (1)地面をたたいて拍子をとること。平和な世の中を楽しむありさまをいう。 →鼓腹(こふく)撃壌 (2)中国の遊び。木靴に似た木を地面に立て、同じ形の別の木でねらいうつ。下駄打ち。○撃壤の壤には、中国古代の遊具であるとする説と、土壌のこととする説がある。遊具であるとすれば、この歌は遊びの歌ということになろうし、土壌であるとすれば、労働歌ということになるのだろうか。