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石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086
(石壁精舎より湖中に還る作)


謝霊運は仏教の勉学と修行、その合間にあちこちと遊歩した。巫湖の南に南山、北に北山という山があったが、謝霊運はいつも石壁精舎の南山に居住し、南山から北山に向かおうとして、巫湖を経て、船中で眺めた美景を歌った秀作に、(石壁精舎より湖中に還る作)を作っている。これは『文選』の巻二十二の 「遊覧」に選ばれている。別に-『於南山往北山経湖中瞻眺』(南山より北山に往き湖中の瞻眺を経たり)―もある。


石壁精舍還湖中作詩
昏旦變氣候。山水含清暉。
午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。
清暉能娛人。遊子憺忘歸。
その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。
出谷日尚早。入舟陽已微。
石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。
林壑斂暝色。雲霞收夕霏。』
林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

#2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
慮澹物自輕。意愜理無違。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
寄言攝生客。試用此道推。』

浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。

(石壁精舎還湖中作。石壁精舎より湖中に還りて作る)
昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。
清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。
谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。
林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」
#2
芰荷【きか】迭【たがい】に映蔚【えいい】し、蒲稗【ほはい】相い因【いん】依【い】す。
被払【ひふつ】して南径【なんけい】に趨【おもむ】き、愉悦【ゆえつ】して東扉【とうひ】に偃【ふ】す。
慮【おもい】澹【しずか】にして物自ら軽く、意 愜【かな】いて理 違【たが】う無し。
言を寄す摂生【せつせい】の客、試みに此処の道を用って推せ。」

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現代語訳と訳註
(本文)
#2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
慮澹物自輕。意愜理無違。
寄言攝生客。試用此道推。』


(下し文) #2
芰荷【きか】迭【たがい】に映蔚【えいい】し、蒲稗【ほはい】相い因【いん】依【い】す。
被払【ひふつ】して南径【なんけい】に趨【おもむ】き、愉悦【ゆえつ】して東扉【とうひ】に偃【ふ】す。
慮【おもい】澹【しずか】にして物自ら軽く、意 愜【かな】いて理 違【たが】う無し。
言を寄す摂生【せつせい】の客、試みに此処の道を用って推せ。」


(現代語訳)
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。


(訳注) #2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
芰荷 ひしとはす。○迭映蔚 たがいに色はえて茂っている。○満稗 がまとひえ。水草。○困依 寄りかかり合って生える。密生する。


披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
披払 小枝や草を推しわけ払う。○南径 家の南の小道。○東扉 家の東の扉の内。


慮澹物自輕。意愜理無違。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
○澹 淡。静かになごやかにさっぱりしている。○物自転 無欲であることで物欲を重んじない。○意愜 心持が快適である。念仏を唱えることで憂いが無くなり満足感を得る。○理無違 浄土念仏の真理にたがえることはない。


寄言攝生客。試用此道推。』
浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。



(解説)
 謝霊運(385年(太元10年) - 433年(元嘉10年))は中国の東晋・南朝宋代を生きた詩人・官僚。陳郡陽夏(河南省太康)の人。爵位から謝康楽とも言われる。六朝期を代表する詩人で山水を詠じた詩が名高く、山水詩の祖とされる。

 河南省で、江南大族の出身であり、名将だった謝玄が祖父である。406年、20歳の時に皇帝に仕えたものの、謀反の疑いをかけられ、広州に流刑とされた後、その地でも疑いをかけられ、処刑の上、死体を市中にさらし者にされた。

謝霊運の浄土宗的な詩は、道教儒教に嫌気がしていた人民の喝采を得ていた。浄土教は為政者を必要としないしそうであり、謝霊運は危険分子とされたのである。そして、為政者に対し歯に衣着せぬ言動は、邪魔であった。多くの歴史書は為政者によって書かれる。謝霊運に残っているのは為政者が許せる範囲の詩文でしかない。気ままとかお坊ちゃんとかいうのは為政者の見方である。詩の一つ一つ見ていくと、世に伝えられている謝霊運像は間違いであるようにしか見えない。