道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<52#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩449 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1164


臨川郡に行く途中、遠ざかりゆく始寧の故居を思い、その過去の生活を追憶しつつ、その感情を歌った。「道路憶山中」(道路にて山中を憶う) 詩は、『文選』の巻二十六の「行旅」 の部に選ばれているものである。


道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。

屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。
#2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
得性非外求,自已為誰纂?
不怨秋夕長,常苦夏日短。
#3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
懷故叵新歡,含悲忘春日耎。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!

道路にて山中を憶う
菱を采る調べは急になり易く、江南の歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。

#2
鄉を存【おも】い爾【しか】い思いは積めり,山を憶い我は憤懣【ふんまん】す。
棲息の時 追尋するに,偃臥【えんが】して縱誕【おもい】を任【ほしい】ままにせり。
性を得る外に求むるに非らず,自から已むのみにて誰の為にか纂【つ】がん?
秋の夕の長きを怨みず,常に夏の日の短きに苦しむ。
#3
流れに濯ぎて 浮湍に激しくし,陰に息【いこ】いて密【しげり】の竿【たけ】に倚る。
故【むかし】を懷い新しき歡【よろこ】びは叵【しがた】く,悲しを含み春の暖かなるを忘る。
淒淒として明月を吹き,惻惻として廣陵を散【ひ】く。
殷勤【いんぎん】 危柱【きちゅう】に訴え,慷慨【こうがい】 促管【そくかん】を命ず!


現代語訳と訳註
(本文) 道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。


(下し文)
道路にて山中を憶う
「采菱」 調べは急になり易く、「江南」 歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。

(現代語訳)
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。

(訳注)
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。

・采菱 楚人の歌曲名。採菱曲。農民女性の歌。宋玉『楚辞・招魂』「肴羞未通、女楽蘿些。㴑鐘按鼓、造新歌些。渉江采菱、發揚荷些。美人既酔、朱顔酡些。」(肴羞【こうしゅう】未だ通ぜらるに、女楽【じょがく】蘿【つらな】る。鐘を㴑【つら】ね鼓を按じて、造新歌些。渉江【しょうこう】采菱【さいりょう】、發揚荷【】些。美人既酔、朱顔【しゅがん】酡【だ】なり。)


楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。


斷絕雖殊念,俱為歸慮款。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。