和謝監靈運 顏延年 詩<61-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1185
(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197



和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。

天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
#2

徒遭良時詖,王道奄昏霾。人神幽明絶,朋好雲雨乖。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。倚岩聽緒風,攀林結留荑。
#3

跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
惜無爵雉化,何用充海淮。去國還故里,幽門樹蓬藜。
#4

采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。

盡言非報章,聊用布所懷。


(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。
#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。



現代語訳と訳註
(本文)
和謝監靈運
弱植慕端操,窘步懼先迷。寡立非擇方,刻意藉窮棲。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。雖慚丹雘施,未謂玄素睽。


(下し文) (謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。


(現代語訳)
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。


(訳注) 和謝監靈運
秘書監なる謝霊運に、故郷の会楷にかえったとき『還舊園作見顔范二中書』(旧園に還りて作り、顔・范二中書に見す)詩がある。顔延年が、それに答えたのがこの詩である。


弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
弱植 楚辞注「植は志なり」を引くから、1.弱い志2.自主性のない志。3.若い時から身を立てる。ここでは3.○端操 ただしいみさお。志のありかたをいう。○窘步 急いで歩み進む。○先迷 『周易、坤卦』「君子有攸往,先迷失道,後得順常。」君子の行く骸(樋)、先んずるときは迷ひて 道を失ひ、後るるときは順にして常を得」。従うべきものに従わないで先に行くと、迷って道をふみはずすことになること。


寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
立・方 『周易、恒卦』「雷風,恒,君子以立不易方。」(雷風は恒あり。君子は以て立ちて方を易へず。)恒に変ることなき所の道に従って身を立て、方(道)をかえるようなことはせぬ意。○刻意藉窮棲 『荘子、刻意篇』「刻意尚行、離世異俗、高論怨誹、為亢而已矣、此山谷之士、非世之人、枯槁赴淵者之所好也。」(意を刻み行ひを尚くし、世を離れ俗と異にし、高論・怨誹、完を為すのみなるは、此れ山谷の士、世を封るの人、枯槙にして淵に赴くものの好む所なり)を含むところの五種の人物をあげ、これらは、自己の好む所に従い、一方に偏するもので、至道に達せぬという。○ かる、よる。○窮棲 山におること。幽棲。隠棲生活。


伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
兩閨 閨閥のこと。王室、貴族に属す一族のこと。
1高祖-武帝-劉裕     420年 - 422年
2    -少帝-劉義符-422年 - 424年


雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
丹雘施 尚書、梓材篇「「若作梓材,旣勤樸斵,惟其塗丹雘」木を削り治めた上、朱色の漆を塗り、器を作りあげることをいう。ここは、栄禄を賜わった君恩をさす。丹雘は、国家の光華たるものをいう。○玄素睽 初めは素(白)い糸であるのが、終りには玄(黒)く汚れそまる、色がかわる。「睽」はそむき、はなれる。純真なものが世間に汚れる、賄賂、汚職にまみえること。