和謝監靈運 顏延年 詩<61-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1191

(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197






和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。

#2
徒遭良時詖,王道奄昏霾。
しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
人神幽明絶,朋好雲雨乖。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
倚岩聽緒風,攀林結留荑。

また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
韓愈の地図03

#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。
衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
惜無爵雉化,何用充海淮。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
去國還故里,幽門樹蓬藜。

それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。
#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。

#4
采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
盡言非報章,聊用布所懷

#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。



現代語訳と訳註
(本文)
#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。
皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
惜無爵雉化,何用充海淮。
去國還故里,幽門樹蓬藜。


(下し文)
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。
 

(現代語訳)
衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。


 (訳注)
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。

衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
 山の名。○ 爾雅に「山の鋭くて高いもの」とあり、五嶺山脈。○ 会稽郡の秦望山。始皇帝が、この山に登り、南海を望んだからという。○ 会楷山。もと茅山といい、禹帝がここに登ってから、名を改めた。


皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
皇聖昭天德 424年文帝即位。貴族勢力との妥協のもと政治を行なった。文帝の治世は元嘉の治と呼ばれた。426年顔延死を左遷させた徐羨之・傅亮らが誅殺され顔延之は召還された。


惜無爵雉化,何用充海淮。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
爵雉化 国語に、趙簡子の語「雀(爵)は海に入りて蛤となり、雉は淮水に入りて蜃となる」ことがみえる。○化 かわる。かえる。天地が万物を生成する。民の俗をかえる、教化・徳化、などをいう。


去國還故里,幽門樹蓬藜。
それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。
 ここは、天子の都の意。国の反対語に隠遁がある。