還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1209


還舊園作見顏范二中書 謝靈運

#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。

#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
#2
玉を焚くこと崑峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。
この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
閩中安可處,日夜念歸旋。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
事躓兩如直,心愜三避賢。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
託身青雲上,棲岩挹飛泉。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。
#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。

#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。
424年文帝即位し、426年には盛明の徳をもって暗い陰湿な徐羨之らの横暴を粛清したのである、そして正美の道をもって難儀な状態を鎮め落ち着いた世にした。
殊方咸成貸,微物豫采甄。
それで遠い国々までも皆、徳の恩恵をうけて国が栄えたのであるし、微細でとるに足らないわたしごときをおとりあげになり、恩命に接したのである。
感深操不固,質弱易版纏。
わたしはこれに深く感じいって隠退の志は堅いということでなく、気も弱くて恩命に引かれ易いままに秘書監の職についた。(426年秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。)。
曾是反昔園,語往實款然。
かくて官についたものの今や会稽の先祖伝来の荘園にもどり、過ぎし日の事など語ることができて打ち解けて。真心から人に接することが実にうれしい。
#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。

#5
曩基即先築,故池不更穿。
修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
果木有舊行,壤石無遠延。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。
雖非休憩地,聊取永日閒。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
衛生自有經,息陰謝所牽。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬ影の所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
夫子照清素,探懷授往篇。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。

demen07

現代語訳と訳註
(本文)
#5
曩基即先築,故池不更穿。果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。


(下し文) #5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


(現代語訳)
修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬ影の所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。


(訳注)#5
曩基即先築,故池不更穿。

修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
 昔、以前。○ 土台。ここは家屋のこと。浄土教による学問修業の場、別荘や寺もたてている。


果木有舊行,壤石無遠延。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。


雖非休憩地,聊取永日閒。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
永日 のどかな春の日。春の日長。一日中。日を長くする。『詩経、唐風、山有樞』「且以喜楽、且以永日」(且つ以て喜楽し、且つ以て日を永うせん。)琴を引いて愉快にやれば楽しくもあり、一日のんびりと暮らせる。―ということでこの詩に基づいている。
 

衛生自有經,息陰謝所牽。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬかげの所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
衛生 生命を守り全うする。健康を保ち、病気の予防、治療をはかること。『荘子、庚桑楚』「 南榮趎曰:“里人有病,里人問之,病者能言其病,然其病病者猶未病也。若趎之聞大道,譬猶飲藥以加病也,趎願聞衛生之經而已矣。”老子曰:“衛生之經,能抱一乎?能勿失乎?能無卜筮而知吉凶乎?能止乎?能已乎?」南栄趎曰く、願はくは生を衛るの經を聞かんのみと。老子日く、生を衛るの経は、能く一を抱かんかな。能く失ふ勿からんかな。能く物と委蛇して其の波に同じくするは、是れ生を衛るの経なり」。・経とは道、方法。○息陰 荘子に「人、影を畏れ迩を悪み、之を去りて走るものあり。足を挙ぐること愈々しばしばすれば、迹ほ愈々疾ければ影は身を離れず」ということから、影がうつるのをやめたいならば、走り動くことをやめて、日光の当らぬ所に居ればよい。そこならば影は生ぜぬ」といった。○謝 しりぞけことわる。


夫子照清素,探懷授往篇。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。
探懷 胸の中から情素(ほんとの心)を探りとる。○往篇 当方から寄せる詩。先方から寄こすものを来詩という。顔延之(延年)  和謝監靈運  詩<61-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1185謝靈運の酬従弟恵運にも用例がある。