日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287


五言楽府
日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。

穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。


(下し文)
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


(現代語訳)
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


(訳注)
 日出東南隅行

玉台新詠 古楽府六首『日出東南隅行』、古詩源 第三巻 楽府歌辭 『陌上桑』の詩に基づいて作られている。君主が戦場に送り出している美人を手に入れようとしたが、節操を持った女性に拒絶されたという話であるが、この時代美人はすべて君主のものということで全国に貝を掬い取る網、兔を取る網を各地に仕掛けていた。こうした、権力者批判していることがこれらの背景にある。顔延之の秋古詩などを詠い、謝宣遠ら四友(謝蕙連、羊璿之、何長瑜、筍蕹)らと和唱している中で作られているのであろう。このページ末部に参考として掲載


柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
柏梁 前116年、漢の武帝が長安の西北に築いた、高さ数十丈の楼台。梁(はり)に香柏を用いたのでこの名がある。冠南山 呉代265年に、南山(現深圳南山区)に塩官が置かれたことから、漢代の塩官も南山に置かれた。桂宮 漢長安城には未央宮、長楽宮、北宮、桂宮があった。・北泉 宮殿の南側にある池湖。
「柏梁詩」 柏梁台は武帝の元封三年(前103年)に作られたもので、台は長安城中北門内にあり、香栢の木をもって梁としたのでこの名があるという。台成るや帝は群臣および地方官を召して、よく七言詩を作るものには上座を与えた。その時、群臣らが一人一句ずつ聯ねたと伝えるのがこの詩である。


晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
晨風 早朝に吹く風。あさかぜ。・幨幌【たんこう・ほろ】 とばり、 ほろ、 たちきれる。・閨軒 ねやの軒端。処女の女性が初めての夜を過ごし、夜通し眠れず夜明けを迎える。そのとき上を向いて寝ているので軒端に朝日が差してくるのが強烈に目に刻まれる様子をいう。


美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。


皎潔秋松氣,淑德春景暄。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


相和歌辭︰相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。
秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。
青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
緗綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔捋髭須。
少年見羅敷、脫帽著幛頭。
耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟躕、使君遣吏往。
問此誰家姝、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。
二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。
羅敷前致辭、使君一何愚。
使君自有婦、羅夫自有夫。

東方千餘騎、夫婿居上頭。
何用識夫婿、白馬從驪駒。
青絲系馬尾、黃金絡馬頭。
腰中鹿盧劍、可值千萬餘。
十五府小史、二十朝大夫。
三十侍中郎、四十專城居。
為人潔白皙、髯髯頗有須。
盈盈公府步、冉冉府中趨。
坐中數千人、皆言夫婿殊。

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。