豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299



豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。

傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。

豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


坐ろに咤噛(山) に落つるを観ん


現代語訳と訳註
(本文)
豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。


(下し文)
豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


(現代語訳)
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。


(訳注)
豫章行

清調曲で歌う。この古辞は、白楊のはかない運命を歌ったものであるが、霊運はその詩意を強く意識して、人生の無常を歌ったもので、題材も内容もきわめて月並みである。豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ 六朝時代(3)
親友、謝蕙連にも同題の作がある。古辞には古詩十九首、挽歌、に同様な内容が見える。


短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。


覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。


茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。
廻戈術 『淮南子』にある物語で、魯の陽公が韓と戦争をしたとき、日が暮れようとしたので、まさに没せんとした日を呼びもどしたということである。・崦嵫 崦嵫山のこと。『山海経』の「西山」に烏鼠洞の穴山の西南にあるといい、下に虞泉があって太陽の入るところとされている。