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泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314





泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
泰山吟
岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。


(下し文)
岱宗【たいそう】は維嶽【いがく】より秀【ひい】で、崔崒【さいしゅつ】して雲天を刺す。
岝崿【さくがく】既に嶮巇しく、石に触るれば輒ち芊綿す。
登封【とうほう】し崇壇【しゅうだん】に痙【うず】む、降禅【こうぜん】し蔵すること粛然たり。
石閭【せきりょ】何ぞ晻藹【うすぐら】き、明宝 秘霊篇。


(現代語訳)
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
瘗 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。


(訳注)
泰山吟

楚調曲にて歌う。全篇、泰山の高く険しき霊場を歌う。
この詩は黄節によると、宋の太祖が、在位が長かったので、泰山にて封禅せんとして、使いを遣わしたとき、霊運がこの篇を作ったのであろうと推定されているが、謝靈運が皇帝の封禅に対して、賛同し、心から希望し喜んでいるわけではないことがよく読めるものではなかろうか。


岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岱宗 泰山の別名。・維岳 封禅をする太い綱でつながっている山々。・崔崒 高く嶮しいさま。


岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
岝崿 山の高い形容。・嶮巇 山道が峻険なようすをいう。峻険の中でも峻険なさま。・ 広く人々に告げ知らせること。また、その人。・ 草がしげる。山の青々としたさま。


登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。・肅然 粛然山


石閭何晻藹,明堂祕靈篇。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。
石閭 石閭山在山東泰安縣南四十五里
明堂 .祠明堂.
封禅の儀式は、封と禅に分かれた2つの儀式の総称を指し、天に対して感謝する「封」の儀式と地に感謝する「禅」の儀式の2つ構成されていると言われている。

司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書第六)の注釈書である『史記三家注』によれば、
「正義此泰山上築土為壇以祭天,報天之功,故曰封.此泰山下小山上除地,報地之功,故曰禪.(『史記正義』には、泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、とある。)」
『史記三家注』では続いて『五経通義』から「易姓而王,致太平,必封泰山,(王朝が変わって太平の世が至ったならば、必ず泰山を封ぜよ)」という言葉を引用している。

前漢 武帝劉徹
元封元年(紀元前110年) 封泰山、禅粛然山
元封2年(紀元前109年)  封泰山、祠明堂
元封5年(紀元前106年)  封泰山、祠明堂
太初元年(紀元前104年) 封泰山、禅蒿里山
太初3年(紀元前102年)  封泰山、禅石閭山
天漢3年(紀元前98年)   封泰山、祠明堂
太始4年(紀元前93年)   封泰山、禅石閭山
征和4年(紀元前89年)   封泰山、禅石閭山

後漢
光武帝劉秀  建武32年(56年) 封泰山、禅梁父山
章帝 劉烜  元和2年(85年) 柴祭泰山、祠明堂
安帝 劉祜  延光3年(124年) 柴祭泰山、祠明堂


我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。