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王昭君歎二首 沈満願(梁の征西記室范靖<范静の妻>)
沈滿願 :生卒年不詳。吳の武康の人。沈約の孫娘。征西記室范靖(靜)の妻。
西暦540年ごろの梁武帝最盛期頃に評価を受けたようである。ただ、沈約(441年 - 513年)は学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したというので、身分地位についてはそれほど高いものではなかったのではなかろうか。ただ、女性の立場で、王昭君の悲劇を呼んでいるわけで、詩界に参列できるだけのものであったことは間違いない。


王昭君歎二首 其一
早信丹青巧、重貨洛陽師。
あの絵師が、あんなに似顔絵をうまく書くと早くから信じていたなら、私はたくさんの貨幣を都洛陽の絵師に使っていたことだろう。
千金買蟬鬢、百萬寫蛾眉。

千金で蟬鬢の美しさを買って、壱百萬金をかけて蛾眉の美しい姿を写させていたものを。

早く丹青の巧なるを信ぜば、
    重く洛陽の師に貨す。
千金 蟬鬢を買い、
    百萬 蛾眉を寫さしめしに。


宮島(3)

現代語訳と訳註
(本文)

王昭君歎二首 其一
早信丹青巧、重貨洛陽師。
千金買蟬鬢、百萬寫蛾眉。


(下し文)
早く丹青の巧なるを信ぜば、重く洛陽の師に貨す。
千金 蟬鬢を買い、百萬 蛾眉を寫さしめしに。


(現代語訳)
あの絵師が、あんなに似顔絵をうまく書くと早くから信じていたなら、私はたくさんの貨幣を都洛陽の絵師に使っていたことだろう。
千金で蟬鬢の美しさを買って、壱百萬金をかけて蛾眉の美しい姿を写させていたものを。


(訳注)
王昭君歎二首 其一
◎王昭君

前漢の元帝の宮女。紀元前33年(竟寧元年)、匈奴との和親のため、呼韓邪単于に嫁し、「寧胡閼氏」としてその地で没した。名は檣。昭君は字。明君、明妃は、「昭」字をさけたための晋以降の称。
『漢書・本紀・元帝紀』「竟寧元年春正月,匈奴 呼韓邪單于來朝。詔曰:「匈奴呼韓邪單于不忘恩德,鄕慕禮義,復修朝賀之禮,願保塞傳之無窮,邊垂長無兵革之事。其改元爲竟寧,賜單于待詔掖庭王檣爲閼氏。」
王檣 王昭君のこと。
閼氏 單于の正妻の称で皇后のこと。
『漢書・匈奴傳・下』「王昭君號寧胡閼氏,生一男伊屠智牙師,爲右日逐王。」
多くの子供をもうけ、夫の没後は、匈奴の習慣に従った再婚をし、父子二代の妻となり、更に子供を儲けている。子供達の名も記録されている。
辺疆安寧のための犠牲になったことで漢・匈奴友好使節の役を果たした。
李白33-35 王昭君を詠う 三首五言絶句『王昭君』、雑言古詩、『王昭君』、雑言古詩『于闐採花』、王昭君ものがたり、『王昭君 二首』 白楽天
李 白 楊貴妃を詠う
 ・ 李白 
王昭君 二首
  白楽天 楊貴妃を詠う
 ・
白楽天王昭君を詠う二首


聞歌
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。
李商隠 3 聞歌


王昭君の七十余年前に、烏孫公主の故事がある。烏孫公主は漢の皇室の一族、江都王・劉建の娘で、武帝の従孫になる劉細君のこと。彼女は、西域の伊犂地方に住んでいたトルコ系民族の国家・烏孫国に嫁した。ともに漢王朝の対西域政策と軍略を物語るものである。
悲愁歌 烏孫公主(劉細君) 女流<108>542 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443


早信丹青巧、重貨洛陽師。
あの絵師が、あんなに似顔絵をうまく書くと早くから信じていたなら、私はたくさんの貨幣を都洛陽の絵師に使っていたことだろう。
丹青 1 赤と青。丹碧。 2 絵の具。また、彩色。「―の妙を尽くす」 3 《「たんぜい」とも》絵画。また、絵の具で描くこと。
重貨 貨は貨幣、絵師への賄賂ということ。賄賂を多くわたすということ。
洛陽師 絵師のこと。直接的な名前をぼかすため、洛陽の都の絵師をいうのであるが、王昭君の絵を描いたのは毛延壽は長安の人である。この絵師は斬首刑となっているので、こういう詩においては長安より洛陽という方が「粋」というものであろう。


千金買蟬鬢、百萬寫蛾眉。
千金で蟬鬢の美しさを買って、壱百萬金をかけて蛾眉の美しい姿を写させていたものを。
蟬鬢 蝉の羽のように美しい鬢。詩経で蟬を螓とする。
蛾眉  (1)(蛾の触角のような形の)細く美しい眉(まゆ)。 (2)美人。 (3)三日月。眉月。

『詩経、衛風、碩人』四章に美人の様子を詠っている。
「手如柔荑、膚如凝脂。領如蝤蠐、歯如瓠犀、螓首蛾眉。巧笑倩兮、美目盻兮。」(手は柔荑の如く、膚は凝脂の如し。領は蝤蠐の如く、歯は瓠犀の如し、螓首 蛾眉。巧笑 倩たり、美目 盻たり。)
“手は柔らかい「つばな」のよう、肌は白く凝った脂肪のようであり、領は蝤蠐の如く、歯は瓠犀の如し、蝉の羽のように薄く梳いた髪。「蛾眉」は、蛾の触覚のように弧をえがいた三日月形の眉、笑う口元のあでやかさ、ぱっちりとした美しい目。”




王昭君とは
前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を閼氏(匈奴の言葉で君主の妻)にしたいと、元帝に依頼したところ(逆に漢王朝が持ちかけたという説もある)王昭君が選ばれた。『西京雑記』によると、元帝は匈奴へ贈る女性として後宮の中の一番醜い女性を選ぶため、宮女の似顔絵帳の中の一番醜い女性を選ぶことにした。宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師の毛延寿に賄賂を贈っていたが、ただ一人賄賂を贈らなかった王昭君は一番醜く描かれていたため、王昭君が匈奴への嫁として選ばれた。皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は王昭君の美しさに仰天したが、匈奴との関係悪化を恐れ、この段階になって撤回することも出来ないため渋々送り出した。その後の調査で、宮女たちから賄賂を取り立てていた毛延寿の不正が発覚し、激怒した元帝は毛延寿を斬首刑に処したという。