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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩583 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1566


この詩は中国に於てほ比較的に少ない叙事詩の傑作で、古今稀に見る長篇である。問答体の長篇であるから、便宜上、篇を十三段に分けて解し、ここでの掲載は”#で示す”によって細分してすすめる。なお詩中の登場人物を表記しておく。
         3.父:公   7. 妹
(夫側:焦氏)         1.仲卿(廬江府吏)
         4.母:姥

         5.父
(妻側:劉氏)         2.蘭芝
         6.母      8. 兄

9. 県令・10.太守・11.丞・12.主薄。など。

・建安 (196―220)後漢献帝の年号
・廬江府 廬江は巣湖の西南西40里(約23km)にあった漢の郡名、もと安徽省廬江県西にあったが、漢未には潜山県に治を移した。

為焦仲卿妻作其(0)
序曰:漢末建安中,廬江府小吏焦仲卿妻劉氏,為仲卿母所遣,自誓不嫁。其家逼之,乃投水而死。仲卿聞之,亦自縊於庭樹。時人傷之,為詩雲爾。


為焦仲卿妻作-其(1)
孔雀東南飛,五裏一徘徊。十三能織素,十四學裁衣。十五彈箜篌,十六誦詩書。十七為君婦,心中常苦悲。君既為府吏,守節情不移。
#2
賤妾留空房,相見常日稀。雞鳴入機織,夜夜不得息。三日斷五疋,大人故嫌遲。非為織作遲,君家婦難為。妾不堪驅使,徒留無所施。便可白公姥,及時相遣歸 。

為焦仲卿妻作-其(2)-#3
府吏得聞之,堂上啟阿母。兒已薄祿相,幸複得此婦。結髮同枕席,黃泉共為友。共事二三年,始而未為久。
女行無偏斜,何意致不厚。
#4
阿母謂府潰何乃太區區。此婦無禮節,舉動自專由。吾意久懷忿,汝豈得自由。東家有賢女,自名秦羅敷。
可憐體無比,阿母為汝求。
#5
便可速遣之,遣去慎莫留。府吏長跪告,伏惟啟阿母。今若遣此婦,終老不復娶。阿母得聞之,槌床便大怒。小子無所畏,何敢助婦語。吾已失恩義,會不相從許。

為焦仲卿妻作-其(3)-#6
府吏默無聲,再拜還入戶。舉言謂新婦,哽咽不能語。我自不驅卿,逼迫有阿母。卿但暫還家,吾今且赴府。不久當歸還,還必相迎取。
#7
以此下心意,慎勿違吾語。新婦謂府吏,勿複重紛紜。往昔初陽歲,謝家來貴門。奉事循公姥,進止敢自專?晝夜勤作息,伶俜縈苦辛。

#8
謂言無罪過,供養卒大恩。仍更被驅遣,何言複來還?妾有繡腰襦,葳蕤自生光。紅羅複鬥帳,四角垂香囊。箱簾六七十,綠碧青絲繩。
#9
物物各具異,種種在其中。人賤物亦鄙,不足迎後人。留待作遣施,於今無會因。時時為安慰,久久莫相忘。

為焦仲卿妻作-其(4)-#10
雞鳴外欲曙,新婦起嚴妝。著我繡夾裙,事事四五通。足下躡絲履,頭上玳瑁光。腰若流紈素,耳著明月璫。 指如削蔥根,口如含珠丹。

#11
纖纖作細步,精妙世無雙。上堂謝阿母,阿母怒不止。昔作女兒時,生小出野裏。本自無教訓,兼愧貴家子。受母錢帛多,不堪母驅使。今日還家去,念母勞家裏 。

#12
卻與小姑別,淚落連珠子。新婦初來時,小姑始扶床。今日被驅遣,小姑如我長。勤心養公姥,好自相扶將。初七及下九,嬉戲莫相忘。出門登車去,涕落百餘行。

為焦仲卿妻作-其(5)
府吏馬在前,新婦車在後。隱隱何甸甸,俱會大道口。下馬入車中,低頭共耳語。誓不相隔卿,且暫還家去。吾今且赴府,不久當還歸。誓天不相負,新婦謂府吏,感君區區懷。君既若見錄,不久望君來。君當作磐石,妾當作蒲葦。蒲葦韌如絲,磐石無轉移。我有親父兄,性行暴如雷。恐不任我意,逆以煎我懷。舉手長勞勞,二情同依依 。

為焦仲卿妻作-其(6)
入門上家堂,進退無顏儀。阿母大拊掌,不圖子自歸。十三教汝織,十四能裁衣。十五彈箜篌,十六知禮儀。十七遣汝嫁,謂言無誓違。汝今何罪過,不迎而自歸?蘭芝慚阿母,兒實無罪過。阿母大悲摧。

為焦仲卿妻作-其(7)
還家十餘日,縣令遣媒來。雲有第三郎,窈窕世無雙。年始十八九,便言多令才。阿母謂阿女,汝可去應之。阿女含淚答,蘭芝初還時,府吏見叮嚀,結誓不別離。今日違情義,恐此事非奇。自可斷來信,徐徐更謂之。阿母白媒人,貧賤有此女。始適還家門,不堪吏人婦。豈合令郎君?幸可廣問訊,不得便相許。

為焦仲卿妻作-其(8)
媒人去數日,尋遣丞請還。說有蘭家女,承籍有宦官。雲有第五郎,嬌逸未有婚。遣丞為媒人,主簿通語言。直說太守家,有此令郎君。既欲結大義,故遣來貴門。阿母謝媒人,女子先有誓,老姥豈敢言。阿兄得聞之,悵然心中煩。舉言謂阿妹,作計何不量。先嫁得府吏,後嫁得郎君。否泰如天地,足以榮汝身。不嫁義郎體,其往欲何雲。蘭芝仰頭答,理實如兄言。謝家事夫君,中道還兄門。處分適兄意,那得自任專。雖與府吏約,後會永無緣。登即相許和,便可作婚姻 。

為焦仲卿妻作-其(9)
媒人下床去,諾諾複爾爾。還部白府君,下官奉使命,言談大有緣 。府君得聞之,心中大歡喜。視曆複開書,便利此月內,六合正相應。良吉三十日,今已二十七,卿可去成婚。交語速裝束,絡繹如浮雲。青雀白鵠舫,四角龍子幡。婀娜隨風轉,金車玉作輪。躑躅青驄馬,流蘇金縷鞍。齎錢三百萬,皆用青絲穿。雜彩三百疋,交廣市鮭珍。從人四五百,鬱鬱登郡門。

為焦仲卿妻作-其(10)
阿母謂阿女,適得府君書,明日來迎汝。何不作衣裳,莫令事不舉。阿女默無聲,手巾掩口啼,淚落便如瀉。移我琉璃榻,出置前廳下。左手持刀尺,右手執綾羅。朝成繡夾裙,晚成單羅衫。暗暗日欲暝,愁思出門啼。府吏聞此變,因求假暫歸。未至二三裏,摧藏馬悲哀。新婦識馬聲,躡履相逢迎。悵然遙相望,知是故人來。舉手拍馬鞍,嗟歎使心傷。自君別我後,人事不可量。果不如先願,又非君所詳。我有親父母,逼迫兼弟兄。以我應他人,君還何所望 。府吏謂新婦,賀君得高遷。磐石方且厚,可以卒千年。蒲葦一時韌,便作旦夕間。卿當日勝貴,吾獨向黃泉。新婦謂府吏,何意出此言。同是被逼迫,君爾妾亦然。黃泉下相見,勿違今日言。執手分道去,各各還家門。生人作死別,恨恨那可論。念與世間辭,千萬不復全。

為焦仲卿妻作-其(11)
府吏還家去,上堂拜阿母。今日大風寒,寒風摧樹木,嚴霜結庭蘭。兒今日冥冥,令母在後單。故作不良計,勿複怨鬼神。命如南山石,四體康且直。阿母得聞之,零淚應聲落。汝是大家子,仕宦於台閣。慎勿為婦死,貴賤情何薄。東家有賢女,窈窕豔城郭。阿母為汝求,便複在旦夕。府吏再拜還,長歎空房中,作計乃爾立。轉頭向戶裏,漸見愁煎迫 。

為焦仲卿妻作-其(12)
其日牛馬嘶,新婦入青廬。暗暗黃昏後,寂寂人定初。我命絕今日,魂去屍長留。攬裙脫絲履,舉身赴清池。府吏聞此事,心知長別離。徘徊庭樹下,自掛東南枝。

為焦仲卿妻作-其(13)
兩家求合葬,合葬華山傍。東西植松柏,左右種梧桐。枝枝相覆蓋,葉葉相交通。中有雙飛鳥,自名為鴛鴦。仰頭相向鳴,夜夜達五更。行人駐足聽,寡婦起彷徨。多謝後世人,戒之慎勿忘。


為焦仲卿妻作其(0)
序曰:漢末建安中,廬江府小吏焦仲卿妻劉氏,為仲卿母所遣,自誓不嫁。
其家逼之,乃投水而死。
仲卿聞之,亦自縊於庭樹。
時人傷之,為詩雲爾。


為焦仲卿妻作-其(1)
孔雀東南飛,五裏一徘徊。十三能織素,十四學裁衣。十五彈箜篌,十六誦詩書。十七為君婦,心中常苦悲。君既為府吏,守節情不移。
#2
賤妾留空房,相見常日稀。雞鳴入機織,夜夜不得息。三日斷五疋,大人故嫌遲。非為織作遲,君家婦難為。妾不堪驅使,徒留無所施。便可白公姥,及時相遣歸 。


#0 焦仲卿【しょうちゅうけい】が妻の為にの作
序に曰く
漢末の建安中に,廬江府【ろこうふ】の小吏 焦仲卿が妻の劉氏,仲卿の母の遣る所と為り,自ら誓って嫁せず。
其の家之に逼【せま】るや,乃ち水に投じて死す。
仲卿 之を聞き,亦 自ら庭樹に縊【くびくく】る。
時に人 之を傷み,詩を為【つく】ると爾【しか】雲【い】う。

#1為焦仲卿妻作-其一
孔雀 東南に飛び,五里に 一たび 裴徊【はいかい】す。
「十三 能【よ】く 素【そ】を織り,十四 衣を 裁【た】つを學び,
十五 箜篌【くご】を彈【ひ】き,十六 『詩』『書』を 誦【しょう】し,
十七 君が婦【つま】と爲り,心中 常に苦悲す。
君 既に 府吏と為り,節を守って情移らず。

#2
賤妾【せんしょう】は空房に留り,相見ること常日【じょうじつ】稀なり。
雞鳴【けいめい】機に入りて織り,夜夜 息むを得ず。三日 五疋を斷ち,大人は故【ことさら】に遲きを嫌う。
織の遲きを作すが為に非らず,君が家の婦は為り難し。
妾は驅使に堪えず,徒【いたずら】に留まるも施す所無し。
便【すなわ】ち公姥に白【もう】して,時に及んで相 遣歸【けんき】す可し」 と 。



#0
序文にいう:後漢末の建安年間に膳江府の小役人であった焦仲卿の妻に劉氏(名は蘭芝)というものがあった。蘭芝は仲卿の母におい出された。離縁された妻・劉氏(劉蘭芝)は更なる嫁入りはしないと心に誓った。(夫の方も、必ず呼び戻すと約束した。しかし実家の方は、劉蘭芝にとって玉の輿とも謂うべき再婚を逼り、嫁入り支度も整った後、前夫に出逢って、愚痴られた。夫婦ともあの世で添い遂げようということになった。その日の夕刻、終(つい)に水に入って死んだ。
(前夫の)焦仲卿は、このことを伝え聞き、自分もまた庭樹の東南の枝に首を吊って果てた。時の人は、二人のことを傷(いた)んで詩にしたと云うことである。)とその経緯が述べられている。

後世に影響を与えた詩で、初唐、劉希夷はじめ数多くの詩人に、特に白居易の『長恨歌』の祖型になったともいわれているのである。。