善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>

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善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 631 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1741


善哉行二首
其一 #1
上山採薇,薄暮苦饑。 谿谷多風,霜露沾衣。
野雉群雊,猿猴相追。 還望故鄉,鬱合壘壘!
高山有崖,林木有枝。 憂來無方,人莫之知。
#2
人生如寄,多憂何為? 今我不樂,歲月如馳。
湯湯川流,中有行舟。 隨波轉薄,有似客遊。
策我良馬,被我輕裘。 載馳載驅,聊以忘憂。

其二 #1
有美一人,婉如清揚。 妍姿巧笑,和媚心腸。
知音識曲,善為樂方。 哀絃微妙,清氣含芳。
流鄭激楚,度宮中商。
#2
感心動耳,綺麗難忘。 離鳥夕宿,在彼中洲。
延頸鼓翼,悲鳴相求。眷然顧之,使我心愁。
嗟爾昔人,何以忘憂?

その一
山に上り薇を采り、薄暮【はくぼ】饑【う】えに苦しむ。
谿谷【けいこく】風多く、霜露衣を霑す。
野雉【やち】羣【むらが】り雊【な】き、猿猴【えんこう】相い追う。
還りて故郷を望むに、鬱として何ぞ壘壘【るいるい】たる。
高山に崖有り、林木に枝有る。
憂い来たりて方を無くし、人の之を知ること莫れ。

人生は寄るが如く、多く憂えるも何をか為さん。
今我楽しまずんば、歳月馳するが如しなり。
湯湯たる川の流れ、中【なかほど】に舟をして行くもの有り。
波に随って轉薄【てんぱく】し、客遊に似たる有り。
我が良馬に策【むちう】ち、我が軽裘【けいきゅう】を被【こうむ】る。
戴【すなわ】ち馳せ戴ち驅【か】る、聊【いささ】か以って憂いを忘れん。



善哉行二首
其一 #1
上山採薇,薄暮苦饑。 谿谷多風,霜露沾衣。
日暮れになっておなかがすきすぎて苦しむというので山に登ってわらびを取ることにする。
渓谷にはいると風が多く吹き着物を巻き上げる、暫くすると霜や露がおりてきて衣を濡らすほどになる。

野雉群雊,猿猴相追。 還望故鄉,鬱合壘壘!
野生の雉は鳴き声で群れをなしているようだ。猿と手長猿たちは追いかけあって戯れている。
わたしは独り他国から故郷の空をかえり見ると、そこにはただ樹木の鬱蒼たる山がはてしなく重なり合っているのである。

高山有崖,林木有枝。 憂來無方,人莫之知。

高い山には常に崖があるものであり、林の木には必ず枝があるものである。
それが当たり前というのに、人に憂いに思うことが来るというのは法則もなければ方策もない、だからひとは誰でもそれを予知することなどしても仕方がないのだ。
#2
人生如寄,多憂何為?
人が生きていくということはひとまずの仮の宿に身を寄せているということであり、これからさきのことをどんなに心配したってどうにもなりはしないということだ。
今我不樂,歲月如馳。
年月は駆けて過ぎ去るように早ものだ、だから今この日を楽しまないままでよいのだろうか。
湯湯川流,中有行舟。
滔滔と流れてやまない川があって、その川の中ほどに漂う一舟の小舟があるのである。
隨波轉薄,有似客遊。
その小舟は波の間に転転しながらも岸辺に至りつくことはできる、そのことはこうして客遊しているものに似ているのである。
策我良馬,被我輕裘。
ということで我が良馬に鞭をあてようではないか、そして、軽い皮衣に着かえようではないか。
載馳載驅,聊以忘憂。

そして、車に乗せて駆り、車に乗せて進もうではないか、多く持っている憂いをこうして遊べばしばし忘れることになるというものだ。

その一
山に上り薇を采り、薄暮【はくぼ】饑【う】えに苦しむ。
谿谷【けいこく】風多く、霜露衣を霑す。
野雉【やち】羣【むらが】り雊【な】き、猿猴【えんこう】相い追う。
還りて故郷を望むに、鬱として何ぞ壘壘【るいるい】たる。
高山に崖有り、林木に枝有る。
憂い来たりて方を無くし、人の之を知ること莫れ。
#2
人生は寄るが如く、多く憂えるも何をか為さん。
今我楽しまずんば、歳月馳するが如しなり。
湯湯たる川の流れ、中【なかほど】に舟をして行くもの有り。
波に随って轉薄【てんぱく】し、客遊に似たる有り。
我が良馬に策【むちう】ち、我が軽裘【けいきゅう】を被【こうむ】る。
戴【すなわ】ち馳せ戴ち驅【か】る、聊【いささ】か以って憂いを忘れん。


『善哉行二首』其一 現代語訳と訳註
(本文)
#2
人生如寄,多憂何為? 今我不樂,歲月如馳。
湯湯川流,中有行舟。 隨波轉薄,有似客遊。
策我良馬,被我輕裘。 載馳載驅,聊以忘憂。


(下し文) #2
人生は寄るが如く、多く憂えるも何をか為さん。
今我楽しまずんば、歳月馳するが如しなり。
湯湯たる川の流れ、中【なかほど】に舟をして行くもの有り。
波に随って轉薄【てんぱく】し、客遊に似たる有り。
我が良馬に策【むちう】ち、我が軽裘【けいきゅう】を被【こうむ】る。
戴【すなわ】ち馳せ戴ち驅【か】る、聊【いささ】か以って憂いを忘れん。


(現代語訳)
人が生きていくということはひとまずの仮の宿に身を寄せているということであり、これからさきのことをどんなに心配したってどうにもなりはしないということだ。
年月は駆けて過ぎ去るように早ものだ、だから今この日を楽しまないままでよいのだろうか。
滔滔と流れてやまない川があって、その川の中ほどに漂う一舟の小舟があるのである。
その小舟は波の間に転転しながらも岸辺に至りつくことはできる、そのことはこうして客遊しているものに似ているのである。
ということで我が良馬に鞭をあてようではないか、そして、軽い皮衣に着かえようではないか。
そして、車に乗せて駆り、車に乗せて進もうではないか、多く持っている憂いをこうして遊べばしばし忘れることになるというものだ。


(訳注)#2
人生如寄,多憂何為?

人が生きていくということはひとまずの仮の宿に身を寄せているということであり、これからさきのことをどんなに心配したってどうにもなりはしないということだ。
《論語》曰:生而知之者上,學而知之者次。
・寄 寄寓、かりずまい。


今我不樂,歲月如馳。
年月は駆けて過ぎ去るように早ものだ、だから今この日を楽しまないままでよいのだろうか。
・この二句は倒句で解釈する。


湯湯川流,中有行舟。
滔滔と流れてやまない川があって、その川の中ほどに漂う一舟の小舟があるのである。
・湯湯 水の流れるさま。


隨波轉薄,有似客遊。
その小舟は波の間に転転しながらも岸辺に至りつくことはできる、そのことはこうして客遊しているものに似ているのである。
・転薄 転々して岸辺に至り着く意。縛り付けられているわけではないからその内辿り着くであろうという意味。


策我良馬,被我輕裘。
ということで我が良馬に鞭をあてようではないか、そして、軽い皮衣に着かえようではないか。
・輕裘 役所の制服でなく、又、甲冑を軽い皮の服に着かえる。


載馳載驅,聊以忘憂。
そして、車に乗せて駆り、車に乗せて進もうではないか、多く持っている憂いをこうして遊べばしばし忘れることになるというものだ。
・聊以忘憂 「憂來無方,人莫之知。」と予測もつかないたくさんの憂いがある。その内のいささかでも忘れることが出来る。


尚、曹丕が参考にしたと思われる同名の詩をあげる。
古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行                                  
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。