三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史

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三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817


三良詩
功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。

曉鶯005

『三良詩』 現代語訳と訳註
(本文)
三良詩
功名不可為、忠義我所安。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
生時等榮樂、既沒同憂患。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
長夜何冥冥?一往不復還。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。


(下し文)(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。


(現代語訳)
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。


(訳注)
三良詩
歴史に借りて時事を風刺する詠史詩である。
〇三良 秦の穆公(春秋時代の諸侯)が死んだ時、殉死した百七十七人の中に、子車(子輿氏ともいう)の子の良臣、奄息・仲行・鍼虎の三人がいた。彼らは何れも善良のほまれが高い人であったので、秦国の人々は「黄鳥」の詩を作って哀しんだ。その事は「左伝」文公六年に見える。なお「詩経」秦風に「黄鳥」という篇があり、「毛詩序」には、国人がこの『三良』を哀しみ、殉死させた穆公を責めた詩であるという。曹植のこの詩の制作時期は不明だが、「文選」五臣注では、曹植が父の操に殉死することができなかったのを後悔して作ったというから、建安二十五年以後のものと見ているようだ。しかし、建安二十年、曹植が張魯征伐に従軍した時、穆公の墓を通って作ったという説もあり、一定しない。三良に託して曹植自身の苦衷を吐露したものと考える。


功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
○功名不可為 功名が立てられるか否かは、天の意志によるもので、自分の意志ではなんともできないもの。またこの句は、功名は自分の問題とするものではないという。

秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
○秦の穆公。
○下世 死ぬこと。
〇自殘 自殺。自害。


生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
生時の二句「秦本紀」の『征義』に引いいて應劭曰く:「秦穆公與群臣飲,酒酣,公曰:『生共此樂,死共此哀。』於是奄息、仲行、鍼虎許諾。」(秦穆公群臣と飲む。酒酣なるとき、公日く、生きて此の楽しみを共にし、死しては此の表しみを共にせんと。ここにおいて奄息・仲行・鍼虎許諾せり。公の荒ずるに及び、皆死に従えり。黄鳥の詩は為めに作らるるなり。)という言葉を引く。

 
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。


攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
○臨穴仰天歎 「詩経」秦風、黄鳥に「臨其穴.惴惴其慄。彼蒼者天.殲我良人。」(その穴に臨み、憶憶としてそれ慄る。彼の蒼たるは天なり、我が良人を殲しぬ。)と見える。
○穴 墓穴。


長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥として暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
長夜 永遠のくらい夜。


黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝!
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
黄鳥為悲鳴 「詩経」秦風に「黄鳥篇」三良の死を悼んだことを詠う。黄鳥は今では黄雀という。うぐいすの一種。