朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821
朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
願隨越鳥,翻飛南翔。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。
朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。
朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。
朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。
朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。
『朔風 (一)』 現代語訳と訳註
(本文)
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
(下し文)
彼の朔風を仰ぎ,用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に徂かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。
(現代語訳)
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。
(訳注)
朔風 (一)
○朔風 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。
仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
○用 それによって。
○魏都 当時の皇都洛陽。武帝(曹操)が葬られている故都鄴城とも考えられる。「懐魏都」とは、都に参上して、誤解をとき、政治に参画したい気持をあらわすものであろう。文帝を優しくするという意にとる説もある。
願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
○代馬 代郡(山西省北部の地名)に産する馬。
○倏忽 たちまちに。走ることのはやい形容。
○狙 ゆく。
凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
○凱風 南風。「詩経」邶風、凱風に「凱風南よりす。」と見える。
○永 はるかに。
○蛮方 「礼記」王制に「南方を蛮という」と見える。ここでは、仇敵たる呉をさす。「思彼蛮方」は、呉に遠征するという意をあらわす。上の「懐魏都」に対するもの。
中華思想における方位・民族呼称。
東夷(とうい)靑 - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本・朝鮮などの東方諸国。人の同類とされ、習俗が仁で君子不老の国とされており、蔑称かどうか議論がある(後述)。
西戎(せいじゅう)白- 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は秦王朝をこれに当てた。(蘇軾「夷狄論」)
北狄(ほくてき)黒 - 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国。犬の同類。
南蛮(なんばん)赤- 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。
例えば、「東夷」については孟子に、古代の聖王・舜は東夷の人であるという説があるため、蔑称ではないという主張も存在し、外国宛の文書に相手国を「東夷」と記して蔑称であるか、そうでないか問題になったこともあるという(陳舜臣の説)。
願隨越鳥,翻飛南翔。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。
○越鳥 越の国(浙江省紹興附近)の鳥。「古詩」に古詩十九 第一首
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
(胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう。)と見える。