朔風 (二章) 曹植 魏詩


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-9>Ⅱ中唐詩565 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1826 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集峴山懷古 陳子昂 (01/22) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩瑶瑟怨 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-53-6-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1828 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

**************************************************************

朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825


朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

彼の朔風を仰ぎ、用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に祖かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。


朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。

朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

雪の庭

『朔風 (二)』 現代語訳と訳註
(本文) 

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。


 (下し文)
四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。


(現代語訳)
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。
 

(訳注)
朔風 
(二) 
朔風 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。其の二。


四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
〇四気 四季の気候。
○代謝 うつりかわる、交替する。
○懸景 天空にかかる光の意で、日月星辰をさす。
○運周 循環運動をすること。


別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
○俯仰 目を伏せ眼を上に仰ぎ見る間、ほんの一瞬にすぎさってしまうこと。たが、中国人の表現としては、別れてからは、日のたつのがおそく、一日一日がまるで九か月の長さにも思われる。」と解することもできる。
○脱 たちまち。あるいは、ゆるやかなるさま。或は、惜別の感情を脱するためには秋の三が月もかかってしまったよいう意味でもあろう。
〇三秋 早秋、仲秋、晩秋の三秋で、それが一日の朝昼晩にあたるということ。詩経経」召南篇から九か月という説もあるがそれでは三年ということになりまちがい。ここでは、相当長い期間の意味であって先の意味に用いるもの。


昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
○初遷 浚儀に移った時をさす。「魏志」の本伝に大和元年授儀に遷し封ぜられ、二年復た蕹丘に還える旨の記載がある。
○朱筆 あかい花。蓮の花という。
○未希 まだ大分残っていた。希は稀に同じ。凋落していないこと。


今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。 
○旋 めぐりかえる。
○止 文末につく助字で、とどまる意味はなく、決定の気特をあらわすというのであるが、ここは前の句を受けて池の辺、はすの花を見に来てみたということ。
○素雪 白雪
○云 樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見える。