怨歌行 曹植 魏詩

2013年3月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033



怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
忠信事不顯,乃有見疑患。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
周公佐成王,金縢功不刋。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
推心輔王政,二叔反流言。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
待罪居東國,泣涕常流連。

罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。
#2
皇靈大動變,震雷風且寒。
拔樹偃秋稼,天威不可干。
素服開金縢,感悟求其端。
公旦事既顯,成王乃哀嘆。
吾欲竟此曲,此曲悲且長。
今日樂相樂,別後莫相忘。

君為ること既に易からず、臣爲ること良に濁り難し。
忠信事顯われずんば、乃ち疑わるるの患あり。
周公は成王を佐け、金縢功刋られず。
心を推して王室を輔くるに、二叔反って流言す。
罪を待ちて東国に居り、泣涕して常に留連す。

皇靈大いに動變し、震雷風ふいて且つ寒し。
樹を抜きて秋稼を偃し、天成干す可からず。
素服して金縢を開き、感悟して其の端を求む。
公旦事既に顯われ、成王乃ち哀嘆す。
吾此曲を竟えんと欲するも、此曲悲しく且つ長し。
今日欒しみて相欒しみ、別後相忘るること莫かれ。


『怨歌行』 現代語訳と訳註
(本文)
怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。
忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。
推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。


(下し文)
君為ること既に易からず、臣爲ること良に濁り難し。
忠信事顯われずんば、乃ち疑わるるの患あり。
周公は成王を佐け、金縢功刋られず。
心を推して王室を輔くるに、二叔反って流言す。
罪を待ちて東国に居り、泣涕して常に留連す。


(現代語訳)
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。

曹植000
(訳注)
怨歌行

・怨歌行 友に向かって讒言によって貶められたことを訴える「うらみの歌」である。作者について異説があるが、曹植の作と見る。曹植独特の、忠誠信、道徳感をのべた「曹植哲学」というものである。
曹植は自分自身を周公になぞらえ、身にふりかかる明帝の疑惑を解こうとしたものとして解した。


為君既不易,為臣良獨難。
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
○この二句 「論語」子路篇に「人之言曰、為君難、為臣不易、如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎。」(人の言に曰く、君たること難く、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。)“人民の言葉に、「よき君主となることは困難であり、よき家臣となることも簡単ではない」というものがあります。もし本当によき君主になることの難しさが分かったら、この言葉ことわずか一言で国を隆盛させるものに近いでしょう。』”と見える。


忠信事不顯,乃有見疑患。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
〇良まことに。
○忠信事不顕 忠誠・忠信であることの事実が疑われることのないほどに信頼され、信用されるまではというほどの意味である。そうでなければ、心なものの讒言により、貶められてしまう。軽挙妄動について心配することを云う。
○見疑患 たんなる愁い、心配でなく「みられる」→「疑われる」→「心配する。」・見 受身をあらわす。他のものから見られること。・患 憂い。心配。

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周公佐成王,金縢功不刋。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
○周公 未詳-紀元前1105年頃の人。名は且、魯の開祖で周公は称号と思われる。文王の第四子で、初代武王の同母弟である。次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。太公望や召公奭と並び、周建国の大功臣の一人である。また旦は、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。旦の時代から遅れること約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子は魯の出身であり、旦を理想の聖人と崇め、常に旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかった(吾不復夢見周公)ので「年を取った」と嘆いたと言う。
〇成王 名は諭、聖の子。在位期間は紀元前1116―1079年。
○佐 輔佐する。もりとも、周公が如何なる形式で輔佐したかは、はっきりしていないが、この頃に、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。。
○金滕 金は金属。滕は封緘すること。建国間もない時期に兄・武王は病に倒れ、余命いくばくもないと言う状態に陥った。これを旦は嘆いて自らを生贄とすることで武王の病を治してほしいと願った。武王の病は一時回復したが、再び悪化して武王は崩御した。これが「金滕」の故事である。金は金属、滕は封じること。武王が病気になった時、周公は王室の動揺を恐れ、自ら武王の死に代わろうとの祈祷書を作った。時の史官がその書と、事の次第を録して金滕の箱の中に蔵めた。武王の死後、周公は流言に厄せられ、東方に遣りおること二年、時に天は風雷の災を下して国人大いに恐れたので、成王はその天変を卜しようと彼の金滕の箱を
開いて始めて実を知り、おのれの流言を信じようとしたことを歎じた。
○刋 きる。摩滅する。


推心輔王政,二叔反流言。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
〇推心 誠意をこめて行うこと。
〇二叔反流言 聖王とされる周の文王の不肖の子、管叔と蔡叔、武王の二弟のこと。鮮は管に封ぜられたので管叔といい、一度は蔡に封ぜられたので蔡叔という。二人は殷の紂王の子武康・祿父の相であった。武王の死後成王が幼かったので周公旦が摂政となった。管・蔡は国中に流言した、「周公は幼主の為によくない」と。周公は居を東都に避けた。後に成王は周公を迎えて帰ったので、管・蔡は懼れて、武康を立てて叛いた。成工は周公に命じてこれを討たせ、武康を誅し、管叔を殺し、蔡叔を追放してこれを遷したが、ついで彼もまた死んだ(『書経』金膽篇)。管叔[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡(さい)に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。蔡叔度は、西周の諸侯である蔡の初代の君主。姓は姫で、名は度。周の文王の五男として生まれた。武王が殷を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。

原性 韓愈(韓退之) 116-9>Ⅱ中唐詩607 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2019

に詳しく述べる。

待罪居東國,泣涕常流連。
罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。