謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。

2013年6月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493


鷹将劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


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擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
竹林0021(本文) 劉楨
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。


(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。


(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。


(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。


既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。


歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。


矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。