謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。


2013年6月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。

王屋山01平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。


(下し文) #3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


(現代語訳)
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。


(訳注) #3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
・灑 水をまき注ぐ。ここは蘭藻の如き清辞を吐くこと。


哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
・下廻鵠 鵠(白鳥)下り舞わす。韓子に「師曂が清徴を奏するに、玄鵠二八ありて廊門に集る」という、それにたとえた。
・餘哇 「哇」は、吐く。また、捏声。ここは、歌ごえ。韻の意か。列子に「辞談は謳を秦青に学び、辞して帰る。青は郊衝に餞し、節を撫して悲歌す、声は林木を震(H)かし、撃は行雲を過む」というものにたとえた。
・徹 通る。いたる。


中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
・中山 そこには美酒を産する。ここは銘酒にたとえたこととなる。なお漢書の「中山王なる勝」のことを用いたということでもある。すなわち、「建元三年、中山王勝ら来朝す。天子置酒す、勝は発声を聞いて泣く。其の故を問ふに、勝は対へて日く、臣は聞けり、悲しめる者には素欷を為すべからず、思ふ者には歎息を為すべからず(歓款の声を聞けば、悲思ますます甚しくなるをいふ)、故に高漸離の筑を易水の上【ほとり】に撃つや、荊軻は之がために(首を)低(た)れて、復た食ふこと能はず。今、臣は心結ばれて日久し。幼抄の芦を聞く毎に涕泣の横集するを知らざるなり」という。この故事によるとすれば、曹椿は、心に憂生の念があるので、太子の恵みには十分感ずるが、酒には酔えぬ、というのであろう。
・飲德方覺飽 詩経、大雅、既酔篇に「既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。君子万年、爾の景福を介にせん」という。酒に酔い、また恵みをうけて飽き足ること。君子も爾も、王をさす。


願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。
・黄髪期 年老いて髪が黄いろになるとき。