諸葛亮 《梁甫吟》斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。

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梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
里中有三墓、累累正相似。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
問是誰家墓、田彊古冶子。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
力能排南山、文能絶地紀。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
一朝被讒言、二桃殺三士。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰能為此謀、國相齊晏子。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。

 (梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。

嚢陽一帯00












『梁甫吟』 現代語訳と訳註
(本文)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
里中有三墓、累累正相似。
問是誰家墓、田彊古冶子。
力能排南山、文能絶地紀。
一朝被讒言、二桃殺三士。
誰能為此謀、國相齊晏子。


(下し文)
(梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。


(現代語訳)
(梁甫の詩を吟じる。)
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。


(訳注)
諸葛亮孔明
・諸葛亮 (181-234)字は孔明、陽都(山東折水県の南) の人。蜀漢の名臣で、三国時代第一流の人物。劉備三顧の礼に感激して襄陽(湖北省)の隠居を出で、曹操を赤壁に破って丞相となり、劉備の死後はその千割禅を助けて幾を討ったが、陣中に病没した。その 「出師表」は赤誠の発露と文品の高いのによって称せられる。


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
・梁甫吟 梁甫は泰山の麓にある山。この題名は、この山に近い地方の人物を詠んだためか、或いはこの附近の地で作ったからであろう。三国志に諸葛亮は好んで梁甫吟を為したとあるから、常にこれを愛吟したと思われる。


歩出齊城門 遙望蕩陰里
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
・斉城門 斉の古城は山東省臨湽県にあった。斉(齊、せい、紀元前1046年 - 紀元前386年)は周代、春秋時代、戦国時代初頭に亘って現在の山東省を中心に存在した国(諸侯)。周建国の功臣太公望によって立てられた国である。
・蕩陰里 斉城附近の里名。


里中有三墓 累累正相似
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
・累累 相連なるさま。


問是誰家墓 田彊古冶子
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。


力能排南山 文能絶地紀
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
・南山 斉城南方の山。
・地紀 地経に同じ、大地を維持する大綱。古伝説では天柱地維があって天地が安定を保つと考えた。それを絶つとは天地を震動する意。


一朝被讒言 二桃殺三士
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
・二桃殺三士 三士とは田開彊・古冶子・公孫接。三人は斉の景公に仕え、勇力の士であった。宰相妟子は景公に請うて二桃を三士に与え、功のすぐれた者がこれを食うべきだという。そこで公孫接と田閑粥がまず功をいい、次に古治子がいうと、二士はこれにおよばぬのを認め、功がおよはぬのに桃を取るのは貪るものであり、貪って死なないのは勇がないと考えて共に桃を返して自殺した。古治子はこれを見ておのれひとり生き永らえるのは不仁不義であるとしてまた死んだ、事は妟子春秋・巻二に詳しい。


誰能為此謀 國相齊晏子
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。
・國相齊晏子 晏嬰(あんえい、未詳 - 紀元前500年)は、中国春秋時代の斉の政治家。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。

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・名相晏子が何故この計をなしたか。晏子春秋の伝うる所では三勇士が晏子に礼を失したのをふくんで、景公に君臣の義を知らぬ勇士を養うのは、国を危くする本だと諌めたとある。晏子としては別に理由があったのでもあろうが、諸葛亮は「被讒言」といって晏子の狭量を責めている。中国にはこのような子供だましのような逸話が多く残っている。掘り下げて考えればいくらでも背景から考えられるが、歴史の必然性というものを重要視しない国民性の典型の逸話の一つである。