2013年7月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683


前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003















1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。

1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。

 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。

1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。

1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。

1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。

1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。



後出師表
2-1-1#1
先帝慮漢、賊不兩立,王業不偏安,故托臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊,才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡。惟坐而待亡,孰與伐之?是故托臣而弗疑也。
2-1-2#2
臣受命之日,寢不安席,食不甘味;思惟北征,宜先入南:故五月渡瀘,深入不毛,並日而食。──臣非不自惜也:顧王業不可偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意。而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法“乘勞”:此進趨之時也。謹陳其事如左:


2-2-1#3
高帝明並日月,謀臣淵深,然涉險被創,危然後安;今陛下未及高帝,謀臣不如良、平,而欲以長策取勝,坐定天下:此臣之未解一也。劉繇、王朗,各據州郡,論安言計,動引聖人,群疑滿腹,眾難塞胸;今歲不戰,明年不征,使孫策坐大,遂並江東:此臣之未解二也。
2-2-2#4
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,仿怫孫、吳,然困於南陽,險於烏巢,危於祁連,逼於黎陽,幾敗北山,殆死潼關,然後偽定一時耳;況臣才弱,而欲以不危而定之:此臣之未解三也。
2-2-3#5
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,先帝每稱操為能,猶有此失;況臣弩下,何能必勝:此臣之未解四也。自臣到漢中,中間期年耳,然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉合、鄧銅等,及驅長屯將七十余人,突將無前,叢叟、青羌,散騎武騎一千余人,
2-2-4#6
此皆數十年之內,所糾合四方之精銳,非一州之所有;若複數年,則損三分之二也。──當何以圖敵:此臣之未解五也。今民窮兵疲,而事不可息;事不可息,則住與行,勞費正等;而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:此臣之未解六也。

2-3-1#7
夫難平者,事也。昔先帝敗軍於楚,當此時,曹操拊手,謂天下已定。──然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,舉兵北征,夏侯授首:此操之失計,而漢事將成也。──然後吳更違盟,關羽毀敗,秭歸蹉跌,曹丕稱帝:凡事如是,難可逆見。臣鞠躬盡瘁,死而後已;至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。