諸葛亮 《出師表-後出師表》 高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


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後出師表 99-#1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
則此病不在兵少也、在一人耳。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
若不能然者、雖兵多何益!
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」

99-#2
 於是考微労、甄烈壮、引咎責躬、布所失於天下、厲兵講武、以為後図、戎士簡練、民忘其敗矣。亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
 
99-#3
 十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、王業不偏安、故託臣以討賊也。以先帝之明、量臣之才、故知臣伐賊才弱敵強也;然不伐賊、王業亦亡、惟坐待亡、孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
99-#4
臣受命之日、寝不安席、食不甘味、思惟北征、宜先入南、故五月渡瀘、深入不毛、并日而食。臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。今賊適疲於西、又務於東、兵法乘労、此進趨之時也。
 
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑
平、而欲以長計取勝、
坐定天下、此臣之未解一也。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、論安言計、
動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、使孫策坐大、
遂并江東、此臣之未解二也。

99-#7
曹操智計殊絶於人、其用兵也、
髣彿孫﹑呉、然困於南陽、険於烏巣、危於祁連、偪於黎陽、幾敗北山、殆死潼関、然後偽定一時耳、況臣才弱、而欲以不危而定之、此臣之未解参也。

99-#8
 曹操五攻昌霸不下、四越巣湖不成、任用李服而李服図之、委夏侯而夏侯敗亡、先帝毎称操為能、猶有此失、況臣駑下、何能必勝?此臣之未解四也。

99-#9
 自臣到漢中、中間期年耳、然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、若復数年、則損参分之二也、当何以図敵?此臣之未解五也。
99-#10
 今民窮兵疲、而事不可息、事不可息、則住与行労費正等、而不及今図之、欲以一州之地与賊持久、此臣之未解六也。
99-#11
 夫難平者、事也。昔先帝敗軍於楚、当此時、曹操拊手、謂天下以定。
然後先帝東連呉﹑越、西取巴﹑蜀、挙兵北征、夏侯授首、此操之失計而漢事将成也。
99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。


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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
 劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
而欲以長計取勝、坐定天下、此臣之未解一也。


(下し文) #-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。


(現代語訳)
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。


(訳注) 99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。


高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。
・高帝: 漢の高祖のこと。
・高祖: (紀元前 247 ~紀元前 195 )前漢の初代皇帝で、
   在位は紀元前 206 ~紀元前 195 です。姓名は劉邦で字は季です。江蘇省の沛の人。項羽らとともに秦を滅ぼした。のちに項羽と争って帝位につき漢王朝をたて、都を長安に定めた。沛公のこと。
・謀臣: はかりごとの巧みな部下。
・淵深: 奥深いこと。


然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
・張良: (未詳~前 189 )前漢の高祖の謀臣で、字は子房。先祖は秦に滅ぼされた韓の国の宰相であったので、秦に報復するため始皇帝を博浪沙で討とうとしたが失敗した。
のち、蕭何や・韓信らとともに高祖を輔佐して天下を統一させた。漢の三傑の一人に挙げられている。
・陳平:(未詳- 紀元前178年)は、中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師。 当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。

而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
・長計: すぐれた計画。


此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
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