諸葛亮 《出師表-後出師表》#6 御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2713


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 99
-#6
竹林0021劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。


(下し文) #-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


(現代語訳)
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。


(訳注) #6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
・劉繇(りゅう よう、156年 - 197年)は、中国後漢末期の政治家。字は正礼。青州東莱郡牟平県(山東省煙台市牟平区)の人。漢の皇族の一人で、前漢の高祖の孫である斉の孝王劉将閭(劉肥の子)の少子の牟平共侯劉渫の直系末孫にあたる。祖父は劉本(劉丕とも、平原郡般県令)。父は劉輿(劉方とも、山陽太守)。伯父は劉寵(字は祖栄、会稽太守。陳王劉寵とは別人。)・劉韙。兄は劉岱ら。子は劉基・劉鑠・劉尚。『三国志』呉志に伝がある。
・王朗 王 朗(おう ろう、未詳 - 太和2年(228年))は、中国後漢末期から三国時代の政治家。徐州東海郡郯県(現:江蘇省連雲港市東海県)の人。字は景興。子は王粛。甥(兄の子)は王詳。孫は王元姫。『三国志』魏書に伝がある。『魏略』によれば、元の諱は厳であったという。なお、于禁を曹操に推挙した同姓同名の別人がいる。


論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。


今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。


使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。


此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。
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