諸葛亮《出師表-後出師表》#11  そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。


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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#11>Ⅱ李白に影響を与えた詩838 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2738
 

#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。

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99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。

夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-3-1#11
夫難平者,事也。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
曹操拊手,謂天下已定。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
舉兵北征,夏侯授首:
此操之失計,而漢事將成也。


(下し文)
夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


(現代語訳)
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。


(訳注)99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。


昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
・敗軍 劉表が没し、劉表の後を継いだ劉琮が曹操に降伏した。諸葛亮は劉琮を討って荊州を奪ってしまえと進言したが、劉備は「忍びない」と言って断り、逃亡した。劉備が逃亡すると、劉琮配下や周辺の住民十数万が付いてきた。そのためその歩みは非常に遅く、すぐにでも曹操軍に追いつかれそうであった。ある人が住民を捨てて早く行軍し江陵を確保するべきだと劉備に進言したが、「大事を成すには人をもって大本としなければならない。私についてきた人たちを捨てるのは忍びない」と言って住民と共に行軍を続けた。
その後曹操の軽騎兵隊に追いつかれて大打撃を受け、劉備の軍勢すら散り散りで妻子と離ればなれになり、娘は曹操に捕らえられるという悲惨な状況だった。


曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
・拊手 ぽんとてをうつ、我が意を得たりと喜ぶさま。


然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。


舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
・夏侯 夏侯淵(かこうえん)


此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。
DCF00018