出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮 後出師表は呉にいた諸葛亮の親族、諸葛喬や諸葛恪が伝承したもので、蜀に残っていなくとも不自然ではない。陳寿が三国志に収録しなかったのは、魏王朝を「賊」呼ばわりするなど表現が過激だからであろう。いずれにしても、内容的に優れたものではない。何らかのものを諸葛亮が劉禅に書いたのではあろうが、こんな内容の薄さではなかったであろう。


2013年7月29日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2 
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです
 
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?

是の故に臣に託して疑わざるなり。 


#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。

臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。

DCF00017












99-#5

謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。

#-5

 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、

而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。

曙00199-#6 
繇﹑王朗各拠州郡、

御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。

今歳不戦、明年不征、

孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、

此れ臣の未だ解せざるの二なり。

2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。

險於烏巢,危於祁連,

烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。

此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
曙0012-2-4#8

曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。


 

#9 
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
百舌鳥02若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。