揚雄 《甘泉賦 序》 孝成皇帝の時代である。ある上京してきた人物が、私、揚雄の文章が、司馬相如に似ているとして帝に推薦してくれた。


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揚雄 《甘泉賦 序》 文選  詩<107>Ⅱ李白に影響を与えた詩854 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2818

 

 

甘泉賦 幷序

作者:揚雄 西漢《昭明文選》

 

孝成帝時,客有薦雄文似相如者。上方郊祀甘泉泰畤、汾陰后土,以求繼嗣,召雄待詔承明之庭。正月,從上甘泉還,奏甘泉賦以風。其辭曰:

 

惟漢十世,將郊上玄,定泰畤,雍神休,尊明號,同符三皇,錄功五帝,卹胤錫羨,拓迹開統。於是迺命羣僚,歷吉日,協靈辰,星陳而天行。

 

詔招搖與泰陰兮,伏鉤陳使當兵。屬堪輿以壁壘兮,梢夔魖而抶獝狂。八神奔而警蹕兮,振殷轔而軍裝。蚩尤之倫,帶干將而秉玉戚兮,飛蒙茸而走陸梁。齊總總以撙撙其相膠轕兮,猋駭雲迅奮以方攘。駢羅列布,鱗以雜沓兮,柴虒參差,魚頡而鳥。翕赫霍,霧集而蒙合兮,半散昭爛,粲以成章。

 

於是乘輿迺登夫鳳皇兮而翳華芝,駟蒼螭兮六素虯。蠖略蕤綏,灕虖纚。帥爾陰閉,霅然陽開。騰清霄而軼浮景兮,夫何旟旐郅偈之旖柅也!流星旄以電燭兮,咸翠蓋而鸞旗。敦萬騎於中營兮,方玉車之千乘。聲隱以陸離兮,輕先疾雷而馺遺風。陵高衍之嵱嵷,超紆譎之清澄。登椽欒而天門兮,馳閶闔而入凌兢。

 

是時未轃夫甘泉也,迺望通天之繹繹。下陰潛以慘廩兮,上洪紛而相錯。直嶢嶢以造天兮,厥高慶而不可虖疆度。平原唐其壇曼兮,列新雉於林薄。攢幷閭與茇兮,紛被麗其亡鄂。崇丘陵之駊騀兮,深溝嶔巖而為谷。𨓹𨓹離宮般以相燭兮,封巒石關施靡乎延屬。

 

於是大廈雲譎波詭,嶊而成觀。仰撟首以高視兮,目冥眴而亡見。正瀏濫以弘惝兮,指東西之漫漫。徒徊徊以徨徨兮,魂眇眇而昏亂。據軨軒而周流兮,忽軮圠而亡垠。翠玉樹之青蔥兮,璧馬犀之瞵。金人仡仡其承鍾虡兮,嵌巖巖其龍鱗。揚光曜之燎燭兮,垂景炎之炘炘。配帝居之縣圃兮,象泰壹之威神。洪臺崛其獨出兮,北極之嶟嶟。列宿迺施於上榮兮,日月纔經於柍桭。雷鬱律於巖突兮,電倐忽於牆藩。鬼魅不能自逮兮,半長途而下顚。

 

歷倒景而飛梁兮,浮蔑蠓而撇天。左欃槍而右玄冥兮,前熛闕後應門。陰西海與幽都兮,涌醴以生川。蛟龍連蜷於東厓兮,白虎敦圉虖昆侖。覽樛流於高光兮,溶方皇於西清。前殿崔巍兮和氏玲瓏。炕浮柱之飛榱兮,神莫莫而扶傾。閌閬閬其寥廓兮,似紫宮之崢嶸。駢交錯而曼衍兮,𡽁隗虖其相嬰。乘雲閣而上下兮,紛蒙籠以成。曳紅采之流離兮,颺翠氣之寃延。襲琁室與傾宮兮,若登高妙遠、肅乎臨淵。

 

回猋肆其碭駭兮,桂椒而鬱杼楊。香芬茀以窮隆兮,擊薄櫨而將榮。薌肸以根兮,聲隱而歷鍾。排玉而颺金鋪兮,發蘭惠與𦲄藭。帷弸其拂汨兮,稍暗暗而靚深。陰陽清濁穆羽相和兮,若夔牙之調琴。般棄其剞劂兮,王爾投其鉤繩。雖方征僑與偓佺兮,猶彷彿其若夢。於是事變物化,目駭耳回,蓋天子穆然,珍臺閒館,琁題玉英,蜎蠖濩之中。惟夫所以澄心清魂,儲精垂思,感動天地,逆釐三神者。

 

 

迺搜逑索偶,皋伊之徒冠倫魁能,函甘棠之惠,挾東征之意,相與齊乎陽靈之宮。靡薜荔而為席兮,折瓊枝以為芳。噏清雲之流瑕兮,飲若木之露英。集虖禮神之囿,登虖頌祇之堂。建光燿之長兮,昭華覆之威威。攀琁璣而下視兮,行遊目虖三危。陳衆車於東阬兮,肆玉釱而下馳。漂龍淵而還九垠兮,窺地底而上回。風傱傱而扶轄兮,鸞鳳紛其御蕤。梁弱水之濎濙兮,躡不周之逶蛇。想西王母欣然而上壽兮,屏玉女而卻虙妃。玉女亡所眺其清矑兮,虙妃曾不得施其蛾眉。方擥道德之精剛兮,眸神明與之為資。

 

於是欽柴宗祈,燎熏皇天,招繇泰壹。舉洪頤,樹靈旗,樵蒸焜上,配藜四施。東燭滄海,西燿流沙,北幽都,南煬丹厓。玄瓚觩秬鬯泔淡,肸嚮豐融,懿懿芬芬。炎感黃龍兮,熛訛碩麟。選巫咸兮叫帝閽,開天庭兮延羣神。儐暗藹兮降清壇,瑞穰穰兮委如山。

 

於是事畢功弘,回車而歸。度三巒兮偈棠黎。天閫決兮地垠開,八荒協兮萬國諧。登長平兮雷鼓磕,天聲起兮勇士厲。雲飛揚兮雨滂沛,于胥德兮麗萬世。

 

亂曰:崇崇圜丘,隆隱天兮。登降峛崺,單垣兮。增宮差,駢嵯峨兮。岭嶙峋,洞無厓兮。上天之縡,杳旭卉兮。聖皇穆穆,信厥對兮。徠祇郊禋,神所依兮,俳佪招搖,靈𨒈兮。煇光眩燿,隆厥福兮。子子孫孫,長亡極兮。

 

 

甘泉賦 幷序

(ならびに序)

孝成帝時,客有薦雄文似相如者。

孝成皇帝の時代である。ある上京してきた人物が、私、揚雄の文章が、司馬相如に似ているとして帝に推薦してくれた。

上方郊祀甘泉泰畤、汾陰后土,

そんな時に帝は、甘泉の泰畤と汾陰の后土で、天地の神を祀られた。

以求繼嗣,召雄待詔承明之庭。

 世継ぎを得ようとされていた。私、揚雄は帝に召され、承明盧でお言葉を持つ身分となった。

正月,從上甘泉還,

正月になって、帝に随従いして甘泉宮に詣で、都に帰った。

奏甘泉賦以風。其辭曰:

それから「甘泉の賦」を奏上し、それとなくお諌めをした。その文章は以下のように申し述べたのもである。

 

銅雀臺00













『甘泉賦 幷序』 現代語訳と訳註

(本文)

孝成帝時,客有薦雄文似相如者。上方郊祀甘泉泰畤、汾陰后土,以求繼嗣,召雄待詔承明之庭。正月,從上甘泉還,奏甘泉賦以風。其辭曰:

 

 

(下し文)

甘泉の賦 幷びに序

孝成帝の時,客 雄の文 相如に似たりと薦むる者有り。

上方に甘泉の泰畤、汾陰の后土を郊祀す。

以て繼嗣を求めんとし,雄を召して詔を承明の庭に待たしむ。

正月,從いて甘泉に上り還える,

甘泉の賦を奏して以て風す。其の辭に曰く:

 

 

(現代語訳)

(ならびに序)

孝成皇帝の時代である。ある上京してきた人物が、私、揚雄の文章が、司馬相如に似ているとして帝に推薦してくれた。

そんな時に帝は、甘泉の泰畤と汾陰の后土で、天地の神を祀られた。

世継ぎを得ようとされていた。私、揚雄は帝に召され、承明盧でお言葉を持つ身分となった。

正月になって、帝に随従いして甘泉宮に詣で、都に帰った。

それから「甘泉の賦」を奏上し、それとなくお諌めをした。その文章は以下のように申し述べたのもである。

 

 

(訳注)

甘泉賦 幷序

(ならびに序)

・揚 (よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。蜀の地に在った若いころは、郷土の先輩司馬相如の影響から辞賦作りに没頭していたが、30歳を過ぎたとき上京する。前漢最末期の都長安で、何とか伝手を頼って官途にありつくと、同僚に王莽、劉歆らの顔があった。郷里では博覧強記を誇った揚雄も、京洛の地で自らの夜郎自大ぶりを悟り、成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成果を踏まえ「甘泉賦」「長揚賦」「羽猟賦」などを次々とものし、辞賦作家としての名声をほしいままにした。

 

孝成帝時,客有薦雄文似相如者。

孝成皇帝の時代である。ある上京してきた人物が、私、揚雄の文章が、司馬相如に似ているとして帝に推薦してくれた。

・孝成帝 成帝(せいてい)は、前漢の第11代皇帝。

皇太子時代の元帝と王政君の間に生まれる。この時期、元帝は父宣帝の不興を買い廃嫡の瀬戸際であったが、後嗣である成帝が生まれたため廃嫡は沙汰止みとなる。宣帝は後嗣誕生を喜び、成帝に「太孫」(皇太孫という程度の意)という字を与えた。

元帝の崩御にともない即位、宣帝以来中書を担当し政治に多大な影響を及ぼしてきた宦官勢力の弱体化には成功したが、それに代わり外戚勢力、殊に生母・孝元皇太后(王政君)の実家・王氏一族が深く朝政に関与し、後の王莽による簒奪の要因となっている。

 

上方郊祀甘泉泰畤、汾陰后土,

そんな時に帝は、甘泉の泰畤と汾陰の后土で、天地の神を祀られた。

・甘泉/甘泉宮 中国,秦の始皇帝が前220年に首都咸陽(かんよう)の北西の甘泉山(陝西省淳化県)に築いた離宮の林光宮に始まる。漢の武帝が建元年間(140‐前135)に高光宮,迎風館,通天台などを増築し,周囲19(7.7km)12宮,11台などを甘泉宮と総称した。別に山谷に沿って雲陽に至る周囲540(219km)の甘泉苑を設け,仙人,石闕(せきけつ),封巒(ほうらん),鳷鵲(しじやく)諸観など宮殿台閣100ヵ所以上があった。

・泰畤 前112(元鼎5)には,雲陽(陝西省淳化県)に置かれた甘泉宮の南に泰畤(たいじ)とよばれる太一祠壇が設けられた。泰畤は紫色で3層,八角形をなし,補佐神の青,赤,黄,白,黒の五帝の壇が環状にとりかこみ,太一神の祭はもっぱらここで行われるようになった。

・汾陰后土 中国で大地をまつるやしろをいう。后土は皇天に対する語で,地祇(ちぎ),皇地祇ともいう。天と地のまつり(郊祀(こうし))と祖先のまつり(宗廟(そうびよう))とは旧体制の中国において最重要の国家祭祀であった。后土のまつりも古代から行われたが,長らく欠けたままになっていたので,漢の武帝は山西省の汾陰(ふんいん)に后土祠を建てて復活させた。これ以後,場所や祭祀儀礼に異同はあるものの,歴代の皇帝によって執行されるようになった。

 

以求繼嗣,召雄待詔承明之庭。

世継ぎを得ようとされていた。私、揚雄は帝に召され、承明盧でお言葉を持つ身分となった。

・承明盧 

 

正月,從上甘泉還,

正月になって、帝に随従いして甘泉宮に詣で、都に帰った。

 

奏甘泉賦以風。其辭曰:

それから「甘泉の賦」を奏上し、それとなくお諌めをした。その文章は以下のように申し述べたのもである。
4岳陽樓詩人003