揚雄 《甘泉賦 》(26) 眩ゆく光りかがやくなかで、眼前に幸福が降されてくるというものである。こうした天子のもとで、子々孫々まで、この幸いは絶えることがないであろう。

 

2013年9月6日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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揚雄 《甘泉賦 》(26)9-2 文選 賦<108-#259分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩879 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2943

 

 

(25)#9-1

亂曰:崇崇圜丘,隆隱天兮。

乱の言葉である。円丘は気高くそびえ、その気は天をも蔽う。

登降峛崺,單垣兮。

斜めの道を登り降り、大きな円を描いて進む。

增宮差,駢嵯峨兮。

宮殿は高く重なり合い、高低さまざまに並んでいる。

嶙峋,洞無厓兮。

その内部は奇怪な石が重なり合ってあくまで奥深く、暗く、果てなく広がる。

上天之縡,杳旭卉兮。

天のはたらきというものは、人知を超えた神秘的なうごきで測り難いものである。

(25)#9-1

亂も曰く:崇崇【しゅうしゅう】たる圜丘【えんきゅう】,隆【さか】んにして天を隱【おお】う。

峛崺【りい】を登り降り,單【ぜん】として【けんえん】たり

增宮【そうきゅう】【しんし】として,駢【つら】なりて嵯峨【さが】たり

【れいえい】嶙峋【りんじゅん】として,洞【ほがら】かみして【かぎ】り

上天の縡【こと】,杳【はる】かにして旭卉【きょくき】たり

 (26)#9-2

聖皇穆穆,信厥對兮。

帝は威儀の隆盛な心で、大神の意にかなおうとされた。

徠祇郊禋,神所依兮,

謹んで天を郊外に祀り、霊祀を行われたところ、神霊は降りてまいられた。

俳佪招搖,靈𨒈兮。

神霊はその地を徘徊されいつまでも留まり、遊び憩われた。

煇光眩燿,隆厥福兮。

眩ゆく光りかがやくなかで、眼前に幸福が降されてくるというものである。

子子孫孫,長亡極兮。

こうした天子のもとで、子々孫々まで、この幸いは絶えることがないであろう。

 

 (26)#9-2

聖皇【せいこう】穆穆【ぼくぼく】として,信【まこと】に【そ】れ【かな】えり

郊禋【こういん】に【きた】り【つつし】みて,神の依る所なり,

俳佪 招搖して,靈【れいせい】𨒈【ち】す。

煇光【きこう】眩燿【げんよう】して,厥【そ】の福を隆【たか】す。

子子孫孫,長く極まり亡し。

 

『甘泉賦』 現代語訳と訳註

曙001

(本文) (26)#9-2

聖皇穆穆,信厥對兮。

徠祇郊禋,神所依兮,

俳佪招搖,靈𨒈兮。

煇光眩燿,隆厥福兮。

子子孫孫,長亡極兮。

 

 

(下し文) (26)#9-2

聖皇【せいこう】穆穆【ぼくぼく】として,信【まこと】に【そ】れ【かな】えり

郊禋【こういん】に【きた】り【つつし】みて,神の依る所なり,

俳佪 招搖して,靈【れいせい】𨒈【ち】す。

煇光【きこう】眩燿【げんよう】して,厥【そ】の福を隆【たか】す。

子子孫孫,長く極まり亡し。

 

 

(現代語訳)

帝は威儀の隆盛な心で、大神の意にかなおうとされた。

謹んで天を郊外に祀り、霊祀を行われたところ、神霊は降りてまいられた。

神霊はその地を徘徊されいつまでも留まり、遊び憩われた。

眩ゆく光りかがやくなかで、眼前に幸福が降されてくるというものである。

こうした天子のもとで、子々孫々まで、この幸いは絶えることがないであろう。

 

 

(訳注)(26)#9-2

聖皇穆穆,信厥對兮。

帝は威儀の隆盛な心で、大神の意にかなおうとされた。

・穆穆 美好。①天子のなごやかなお顔、②威儀の隆盛なさまをいう。

 

徠祇郊禋,神所依兮,

謹んで天を郊外に祀り、霊祀を行われたところ、神霊は降りてまいられた。

 

俳佪招搖,靈𨒈兮。

神霊はその地を徘徊されいつまでも留まり、遊び憩われた。

 

煇光眩燿,隆厥福兮。

眩ゆく光りかがやくなかで、眼前に幸福が降されてくるというものである。

 

子子孫孫,長亡極兮。

こうした天子のもとで、子々孫々まで、この幸いは絶えることがないであろう。

 

 

・揚 (よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。蜀の地に在った若いころは、郷土の先輩司馬相如の影響から辞賦作りに没頭していたが、30歳を過ぎたとき上京する。前漢最末期の都長安で、何とか伝手を頼って官途にありつくと、同僚に王莽、劉歆らの顔があった。郷里では博覧強記を誇った揚雄も、京洛の地で自らの夜郎自大ぶりを悟り、成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成果を踏まえ「甘泉賦」「長揚賦」「羽猟賦」などを次々とものし、辞賦作家としての名声をほしいままにした。

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