司馬相如《子虚賦 》(1司馬 相如は、中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿。名は、もと犬子と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓氏との恋愛も有名である。


2013年9月7日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

司馬相如 《子虚賦 》(1)#00 文選 賦<109-#0-09分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩880 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2948

 

 

武帝の宮廷へ

中央では景帝が死に、武帝が皇帝の位についた。景帝と違って、武帝は文学を大変好んだ。
たまたま、武帝は「子虚の賦」を読んで感動し、「この賦の作者と同じ時代に生きられなかったのは残念だ」とまで言ったという。武帝は「子虚の賦」が、ずっと昔の人によって書かれたと思っていたのだ。司馬相如と同郷である側近の楊得意という者が、「子虚の賦」の作者が今生きている人間で、名を司馬相如というと武帝に教えた。
 

武帝は早速司馬相如を召した。そのとき、司馬相如は、「子虚の賦」が諸侯のことを書いた内容であり、天子(皇帝)にたてまつるのにはふさわしくないと言った。そして、司馬相如は天子にふさわしくなるように「子虚の賦」を改作して、「天子游獵賦(『文選』では「子虚賦」と「上林賦」に分割。「子虚・上林賦」と称されることが多い。)」として、武帝にたてまつった。武帝は大いに喜び、司馬相如を郞に復職させた。
ここでは
『文選』に遵い「子虚賦」を紹介し、ついで「上林賦」とすすめる。分からの分割は10分割(#1~#10)し、50~60文字前後を1回分としてブログを進めることする。 

 

幻日環01 

 











《子虛賦》漢・司馬相如

#1―(1)

楚使子虛使於齊,齊王悉發車騎,與使者出田。田罷,子虛過烏有先生,亡是公在焉。坐定,烏有先生問曰:「今日田樂乎?」子虛曰:「樂。」「獲多乎?」曰:「少。」「然則何樂?」曰:「僕樂王之欲夸僕以車騎之眾,而僕對以雲夢之事也。」曰:「可得聞乎?」

#2

子虛曰:「可。王駕車千乘,選徒萬騎,田於海濱。列卒滿澤,罘罔彌山,掩莵轔鹿,射麋格麟。騖於鹽浦,割鮮染輪。射中獲多,矜而自功。顧謂僕曰:「楚亦有平原廣澤、游獵之地,饒樂若此者乎?楚王之獵,孰與寡人?」僕下車對曰:「臣,楚國之鄙人也,幸得宿衛十有餘年,時從出遊,遊於後園,覽於有無,然猶未能遍睹也;又烏足以言其外澤者乎?」齊王曰:「雖然,略以子之所聞見言之。」

#3

「僕對曰:「唯唯。臣聞楚有七澤,嘗見其一,未睹其餘也。臣之所見,蓋特其小小者耳,名曰雲夢。雲夢者,方九百里,其中有山焉。其山則盤紆岪鬱,隆崇律崒,岑崟參差,日月蔽虧,交錯糾紛,上干青雲;罷池陂陁,下屬江河。其土則丹青赭堊,雌黃白坿,錫碧金銀;眾色炫燿,照爛龍鱗。其石則赤玉玫瑰,琳琨珸,瑊玏玄厲,石武夫。

#4

其東則有蕙圃,衡蘭芷若,穹窮昌蒲,江離麋蕪,諸柘巴且。其南則有平原廣澤,登降阤靡,案衍壇曼,緣以大江,限以巫山。其高燥則生葴析苞荔,薛莎青薠。其卑則生藏莨蒹葭,東彫胡,蓮藕觚蘆,奄閭軒于。眾物居之,不可勝圖。其西則有湧泉清池,激水推移。外發夫容菱華,隱鉅石白沙。其中則有神龜蛟鼉,毒冒鼈黿。其北則有陰林巨樹,楩楠豫章,桂椒木蘭,檗離朱楊,樝梨栗,橘柚芬芳。其上則有宛雛孔鸞,騰遠射干。其下則有白虎玄豹,蜒貙豻。」

#5

「於是乃使專諸之倫,手格此獸。楚王乃駕馴駁之駟,乘彫玉之輿,靡魚須之橈旃,曳明月之珠旗,建干將之雄戟,左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。陽子驂乘,孅阿為御,案節未舒,即陵狡獸。蛩蛩,轔距虛,軼野馬,(左車+右惠)騊駼,乘遺風,射游騏,儵倩浰,雷動焱至,星流電擊,弓不虛發,中必決眦,洞胸達腋,乎心繫,獲若雨獸,揜屮蔽地。於是楚王乃弭節徘徊,翔容與,覽乎陰林,觀壯士之暴怒,與猛獸之恐懼,徼(左谷+右凡)受詘,殫覩眾物之變態。」

#6

「於是鄭女曼,被阿錫,揄紵縞,雜纖羅,垂霧縠,襞積褰縐,鬱橈谿谷;衯衯裶裶,揚戌削,蜚襳垂。扶輿猗靡,翕呷萃蔡,下摩蘭蕙,上拂羽蓋,錯翡翠之威蕤,繆繞玉綏,眇眇忽忽,若神之髣髴。」

#7

「於是乃羣相與獠於蕙圃,媻珊勃窣,上金隄,揜翡翠,射鵕鸃,微矰出,孅繳施,弋白鵠,連駕鵞,雙鶬下,玄鶴加。怠而後游於清池,浮文,揚旌枻,張翠帷,建羽蓋,罔毒冒,釣紫貝,金鼓,吹鳴籟,榜人歌,聲流喝,水蟲駭,波鴻沸,湧泉起,奔揚會,礧石相擊,琅琅礚礚,若雷霆之聲,聞乎數百里之外。」

#8

「將息獠者,擊靈鼓,起烽燧,車案行,騎就隊,纚乎淫淫,班乎裔裔。於是楚王乃登陽雲之臺,泊乎無為,澹乎自持,勺藥之和具而後御之。不若大王終日馳騁,曾不下輿,割輪淬,自以為。臣竊觀之,齊殆不如。」於是王無以應僕也。」

#9

烏有先生曰:「是何言之過也!足下不遠千里,來況齊國,王悉境之士,備車騎之眾,與使者出田,乃欲戮力致獲,以左右也,何名為夸哉!問楚地之有無者,願聞大國之風烈,先生之餘論也。今足下不稱楚王之德厚,而盛推雲夢以為驕,奢言淫樂而顯侈靡,竊為足下不取也。必若所言,固非楚國之美也。有而言之,是章君之惡也,無而言之,是害足下之信也。章君惡,傷私義,二者無一可,而先生行之,必且輕於齊而累於楚矣。

10

且齊東陼鉅海,南有琅邪,觀乎成山,射乎之罘;浮勃澥,游孟諸。邪與肅慎為鄰,右以湯谷為界,秋田乎青丘,傍偟乎海外,吞若雲夢者八九,其於匈中曾不蔕芥。若乃俶儻瑰偉,異方殊類,珍怪鳥獸,萬端鱗崒,充仞其中者,不可勝記,禹不能名,契不能計。然在諸侯之位,不敢言游戲之樂,苑囿之大;先生又見客,是以王辭不復,何為無以應哉!」