司馬相如 《子虚賦 》(2国が、子虚という人物を、斉の国に使者として派遣した。斉王は、國中の車馬を駆り出して、使者の子虛と共に、狩猟に出かけた。狩りが終わってから、子虛は、烏有先生の家に立ち寄り、自慢話をした。その席には、亡是公も居た。席が定まってから、烏有先生は、「今日の狩りは愉快でしたか」と、

 

2013年9月8日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(2)#1-1 文選 賦<109-#1-19分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩881 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2953

 

 

子虚賦(1)-#1―1

楚使子虛使於齊,齊王悉發車騎,與使者出田。

国が、子虚という人物を、斉の国に使者として派遣した。斉王は、國中の車馬を駆り出して、使者の子虛と共に、狩猟に出かけた。

田罷,子虛過烏有先生,亡是公在焉。

狩りが終わってから、子虛は、烏有先生の家に立ち寄り、自慢話をした。その席には、亡是公も居た。

坐定,烏有先生問曰:「今日田樂乎?」

席が定まってから、烏有先生は、「今日の狩りは愉快でしたか」と、

 (2)-#1-2

子虛曰:「樂。」「獲多乎?」

曰:「少。」「然則何樂?」

曰:「僕樂王之欲夸僕以車騎之眾,而僕對以雲夢之事也。」

曰:「可得聞乎?」

 

子虚【しきょ】の賦(1)-#1―1

楚 子虛をして齊に使いたらしむ,齊王 悉く 車騎を發し,使者と出でて田【かり】す。

田【かり】罷【や】みぬるとき,子虛過【よぎ】りて烏有【うゆう】先生に【はじ】る,亡是【むぜ】公在【こうざい】せり

坐 定まりぬるとき,烏有先生 問いて曰く:「今日の田【かり】樂しかりしや?」と。

(2)-#1-2

子虛 :「樂しかりし。」と。「獲【とも】のかりしや乎?」

:「少なかりし」と「然【しか】らば則ち何をか樂しむ?」と。

【こた】えて曰く:「僕 王の僕に夸【ほこ】るに車騎の眾【おお】きを以ってせんと欲し,而して僕 對【こた】うるに雲夢の事を以ってしつることを樂しむ。」と。

曰く:「得て聞きつ可き乎?」と。

 

600moon880 



『子虚賦』 現代語訳と訳註

(本文) (1)-#1―1

楚使子虛使於齊,齊王悉發車騎,與使者出田。

田罷,子虛過烏有先生,亡是公在焉。

坐定,烏有先生問曰:「今日田樂乎?」

 

 

 

(下し文)

子虚【しきょ】の賦(1)-#1―1

楚 子虛をして齊に使いたらしむ,齊王 悉く 車騎を發し,使者と出でて田【かり】す。

田【かり】罷【や】みぬるとき,子虛過【よぎ】りて烏有【うゆう】先生に【はじ】る,亡是【むぜ】公在【こうざい】せり

坐 定まりぬるとき,烏有先生 問いて曰く:「今日の田【かり】樂しかりしや?」と。

 

 

(現代語訳)

国が、子虚という人物を、斉の国に使者として派遣した。斉王は、國中の車馬を駆り出して、使者の子虛と共に、狩猟に出かけた。

狩りが終わってから、子虛は、烏有先生の家に立ち寄り、自慢話をした。その席には、亡是公も居た。

席が定まってから、烏有先生は、「今日の狩りは愉快でしたか」と、

 

 

 

(訳注) (1)-#1―1

楚使子虛使於齊,齊王悉發車騎,與使者出田。

国が、子虚という人物を、斉の国に使者として派遣した。斉王は、國中の車馬を駆り出して、使者の子虛と共に、狩猟に出かけた。

・楚 楚(そ ? - 紀元前223年)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は丹陽(ただし、名前が同じだけで場所は何度か変わっている)。

・子虛 司馬相如は、「子虚の賦」が諸侯のことを書いた内容であり、天子(皇帝)にたてまつるのにはふさわしくないと言った。そして、司馬相如は天子にふさわしくなるように「子虚の賦」を改作して、「天子游獵賦(『文選』では「子虚賦」と「上林賦」に分割。

・齊/齊王 斉(齊、せい、Qi、紀元前1046 - 紀元前386年)は周代、春秋時代、戦国時代初頭に亘って現在の山東省を中心に存在した国(諸侯)。周建国の功臣太公望によって立てられた国である。

・出田 田:畋 狩猟。

 

田罷,子虛過烏有先生,亡是公在焉。

狩りが終わってから、子虛は、烏有先生の家に立ち寄り、自慢話をした。その席には、亡是公も居た。

烏有先生 架空の人物。この賦には子虚,烏有先生,亡是公(ぼうぜこう)の3人の人物が登場して,それぞれに楚王と斉王と天子の狩猟の盛大さを自慢しあうという枠組みで作品が展開する。注によれば,子虚の虚とは〈虚言(うそ)〉,烏有とは〈烏(いずくん)ぞ此の事有らんや〉,亡是とは〈是(こ)の人亡(な)し〉の意。いずれも架空の人物であることをその名をもって顕示する。賦の文学が本質として持つ虚構性につながる人物設定である。

亡是公 中国,前漢の司馬相如の〈子虚・上林の賦〉に登場する架空の人物。この賦には子虚,烏有先生,亡是公(ぼうぜこう)の3人の人物が登場して,それぞれに楚王と斉王と天子の狩猟の盛大さを自慢しあうという枠組みで作品が展開する。注によれば,子虚の虚とは〈虚言(うそ)〉,烏有とは〈烏(いずくん)ぞ此の事有らんや〉,亡是とは〈是(こ)の人亡(な)し〉の意。

 

坐定,烏有先生問曰:「今日田樂乎?」

席が定まってから、烏有先生は、「今日の狩りは愉快でしたか」と、

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