司馬相如《子虚賦》 (2)子虚に尋ねた。子虛は「愉快でした」と答えた。「では、愉快なのは獲物が多かったからですか?」というと。答えた。「いや、少なかったのです」、「では、何が愉快だったのですか」と。


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司馬相如 《子虚賦 》(3)#12 文選 賦<109-#1-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩882 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2958

 

 

子虚賦(1)-#1―1

楚使子虛使於齊,齊王悉發車騎,與使者出田。

国が、子虚という人物を、斉の国に使者として派遣した。斉王は、國中の車馬を駆り出して、使者の子虛と共に、狩猟に出かけた。

田罷,子虛過烏有先生,亡是公在焉。

狩りが終わってから、子虛は、烏有先生の家に立ち寄り、自慢話をした。その席には、亡是公も居た。

坐定,烏有先生問曰:「今日田樂乎?」

席が定まってから、烏有先生は、「今日の狩りは愉快でしたか」と、

子虚賦(2)-#1-2

子虛曰:「樂。」「獲多乎?」

子虚に尋ねた。子虛は「愉快でした」と答えた。「では、愉快なのは獲物が多かったからですか?」というと。

曰:「少。」「然則何樂?」

答えた。「いや、少なかったのです」、「では、何が愉快だったのですか」と。

曰:「僕樂王之欲夸僕以車騎之眾,而僕對以雲夢之事也。

といった問答を受けて、子虚は、「斉王か私に対して、車馬の数の多さを自慢なさろうとしたので、私は楚の雲夢沢ことをお答えしたのですが、それが愉快の原因なのです」と言った。

曰:「可得聞乎?」

烏有先生が、「どんなお話をされたか、お聞かせいただけますか」とたずねて言う。

 

鷹将 


子虚【しきょ】の賦(1)-#1―1

楚 子虛をして齊に使いたらしむ,齊王 悉く 車騎を發し,使者と出でて田【かり】す。

田【かり】罷【や】みぬるとき,子虛過【よぎ】りて烏有【うゆう】先生に【はじ】る,亡是【むぜ】公在【こうざい】せり

坐 定まりぬるとき,烏有先生 問いて曰く:「今日の田【かり】樂しかりしや?」と。
 

(2)-#1-2

子虛 曰く:「樂しかりし。」と。「獲【とも】の多かりしや乎?」と

曰く:「少なかりし。」と「然【しか】らば則ち何をか樂しむ?」と。

【こた】えて曰く:「僕 王の僕に夸【ほこ】るに車騎の眾【おお】きを以ってせんと欲し,而して僕 對【こた】うるに雲夢の事を以ってしつることを樂しむ。」と。

曰く:「得て聞きつ可き乎?」と。

 

『子虚賦』 現代語訳と訳註

(本文) (2)-#1-2

子虛曰:「樂。」「獲多乎?」

曰:「少。」「然則何樂?」

曰:「僕樂王之欲夸僕以車騎之眾,而僕對以雲夢之事也。

曰:「可得聞乎?」

 

 

(下し文) (2)-#1-2

子虛 曰く:「樂しかりし。」と。「獲【とも】の多かりしや乎?」と

曰く:「少なかりし。」と「然【しか】らば則ち何をか樂しむ?」と。

【こた】えて曰く:「僕 王の僕に夸【ほこ】るに車騎の眾【おお】きを以ってせんと欲し,而して僕 對【こた】うるに雲夢の事を以ってしつることを樂しむ。」と。

曰く:「得て聞きつ可き乎?」と。

 

(現代語訳)

子虚に尋ねた。子虛は「愉快でした」と答えた。「では、愉快なのは獲物が多かったからですか?」というと。

答えた。「いや、少なかったのです」、「では、何が愉快だったのですか」と。

といった問答を受けて、子虚は、「斉王か私に対して、車馬の数の多さを自慢なさろうとしたので、私は楚の雲夢沢ことをお答えしたのですが、それが愉快の原因なのです」と言った。

烏有先生が、「どんなお話をされたか、お聞かせいただけますか」とたずねて言う。

 

 

(訳注) (2)-#1-2

子虛曰:「樂。」「獲多乎?」

子虚に尋ねた。子虛は「愉快でした」と答えた。「では、愉快なのは獲物が多かったからですか?」というと。

 

曰:「少。」「然則何樂?」

答えた。「いや、少なかったのです」、「では、何が愉快だったのですか」と。

 

曰:「僕樂王之欲夸僕以車騎之眾,而僕對以雲夢之事也。

といった問答を受けて、子虚は、「斉王か私に対して、車馬の数の多さを自慢なさろうとしたので、私は楚の雲夢沢ことをお答えしたのですが、それが愉快の原因なのです」と言った。

・雲夢之事 楚の雲夢沢。中国で先秦時代の古い文献にみえる楚の国の地名。単独で雲,あるいは夢とも称される。この解釈をめぐって古くから議論があり,中国歴史地理の重要な問題の一つであった。現在では,雲夢とは長江(揚子江)中流域,今の湖北省中央部に形成されていた湖沼を中心に,周囲の山野をも含む広範囲を呼んだものと考えられている。その中央にあった湖沼は,この地点で長江に流入する漢水や沮水(しよすい)などの支流の流量を,自然に調整するために形成されていた遊水池の一つで,今の江陵県(楚呉の都,郢(えい)のあったところ)の東,漢水と長江の中間を広く占めていたもので,その範囲は降水量や氷河の伸長などによって一定してはいなかった。

 

曰:「可得聞乎?」

烏有先生が、「どんなお話をされたか、お聞かせいただけますか」とたずねて言う。