司馬相如 《子虚賦 》(5私は、車より降りて、「私は、楚国の田舎者に過ぎません。幸いなことに、楚王の宿直警護役として、十年余り務めさせていただき、時には王の遊楽のお供にして出かけた。それは裏庭などを巡ることであり、そこに何が有るかを見知ることなのです。

 

2013年9月11日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(5)#2-2 文選 賦<109-#1-49分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩884 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2968

 

 

(4)#2-1

子虛曰:「可。

子虚は「よろしいです。」と言って、話を始めた。

王駕車千乘,選徒萬騎,田於海濱。

斉王は、千台の馬車をしたてられ、万人の騎兵をよりすぐられ、海岸地帯で狩りをされました。

列卒滿澤,罘罔彌山.
兎に網をかぶせ、鹿を車輪にかけ、麋(へらしか)を射とめ、
掩莵轔鹿,射麋格麟。

麟(大きなめじか)でさえ足を押さえ捕獲したのです。
騖於鹽浦,割鮮染輪。
射中獲多,矜而自功。

王は、仕留められたのが大猟であり、そのことが自慢で誇りとされた。

顧謂僕曰:「楚亦有平原廣澤、游獵之地,饒樂若此者乎?

私の方を振り返られると謂われた。「あなたの故郷である楚の国にも、この地と同じぐらい狩猟のできる平野や大湿原があるだろうが、豊かでこんなに楽しい場所としているのだろうか。」と。

楚王之獵,孰與寡人?」

そして、「楚王のなさる狩猟は、私のそれと比較して、どちらが立派で、上だろうか」とお尋ねになりました。

 

(5)#2-2

僕下車對曰:「臣,楚國之鄙人也

私は、車より降りて、「私は、楚国の田舎者に過ぎません。

幸得宿衛十有餘年,時從出遊,

幸いなことに、楚王の宿直警護役として、十年余り務めさせていただき、時には王の遊楽のお供にして出かけた。

遊於後園,覽於有無,

それは裏庭などを巡ることであり、そこに何が有るかを見知ることなのです。

然猶未能遍睹也;又烏足以言其外澤者乎?」

そのくせ、宮中のことも、完全に見尽くすことはできておりません。ましてや、地方にある沼沢地に関しては、どうして、私などが申し上げることができましょうか」とお答えしました。

齊王曰:「雖然,略以子之所聞見言之。

斉王が重ねて、「そうでもあろうが、あなたが見聞された範囲でよいから、大体語られよ」といわれた。
moon2011 







(4)
#2-1

子虛 曰く:「可なり。」と。「王駕車は千乘【せんじょう】,

徒【と】萬騎を選びて,海濱に田【かり】す。

列卒 澤に滿ち,罘罔【ふもう】山に彌【わた】り,

莵【うさぎ】を掩い鹿を轔【す】り,麋【び】を射 麟【りん】を格す。

鹽浦【えんぽ】に騖【は】せ,鮮を割きて輪に染【なす】る。

射中【あ】てて獲【えもの】多く,矜【ほこ】りて自ら功とす。

顧【かえり】みて僕に謂いて曰く:

「楚にも亦 平原廣澤、游獵の地の饒【ゆた】かに樂しきこと此【か】くの若き者 有りや?」と。

「楚王の獵【りょう】,寡人【かじん】孰與【いずれ】ぞ?」と。

 

(5)#2-2

僕 下車より 對えて曰く:「臣は,楚國の鄙人【ひじん】なり。

幸いにして宿衛【しゅくえい】を得たること十有餘年。

時に從いて出で遊び,後園に遊び,有無を覽たり。

然れども猶お未だ遍【あまね】く睹【み】る能わず;

又 烏【いずく】んぞ以て言其の外澤【がいたく】をいうに足らんや?」と。

齊王 曰く:「然りと雖も,略【ほぼ】 子が之聞き見たらん所を以て之を言え。」と。

 600moon880



 

『子虚賦』4回目 現代語訳と訳註

(本文) (5)#2-2

王屋山01僕下車對曰:「臣,楚國之鄙人也

幸得宿衛十有餘年,時從出遊,

遊於後園,覽於有無,

然猶未能遍睹也;又烏足以言其外澤者乎?」

齊王曰:「雖然,略以子之所聞見言之。

 

 

(下し文) (5)#2-2

僕 下車より 對えて曰く:「臣は,楚國の鄙人【ひじん】なり。

幸いにして宿衛【しゅくえい】を得たること十有餘年。

時に從いて出で遊び,後園に遊び,有無を覽たり。

然れども猶お未だ遍【あまね】く睹【み】る能わず;

又 烏【いずく】んぞ以て言其の外澤【がいたく】をいうに足らんや?」と。

齊王 曰く:「然りと雖も,略【ほぼ】 子が之聞き見たらん所を以て之を言え。」と。

 

 

(現代語訳)

私は、車より降りて、「私は、楚国の田舎者に過ぎません。

幸いなことに、楚王の宿直警護役として、十年余り務めさせていただき、時には王の遊楽のお供にして出かけた。

それは裏庭などを巡ることであり、そこに何が有るかを見知ることなのです。

そのくせ、宮中のことも、完全に見尽くすことはできておりません。ましてや、地方にある沼沢地に関しては、どうして、私などが申し上げることができましょうか」とお答えしました。

斉王が重ねて、「そうでもあろうが、あなたが見聞された範囲でよいから、大体語られよ」といわれた。 

 

(訳注) (5)#2-2

僕下車對曰:「臣,楚國之鄙人也

私は、車より降りて、「私は、楚国の田舎者に過ぎません。

鄙人 田舎者。

 

幸得宿衛十有餘年,時從出遊,

幸いなことに、楚王の宿直警護役として、十年余り務めさせていただき、時には王の遊楽のお供にして出かけた。

・宿衛 楚王の宿直警護役。

 

遊於後園,覽於有無,

それは裏庭などを巡ることであり、そこに何が有るかを見知ることなのです。

後園 裏庭。

 

然猶未能遍睹也;又烏足以言其外澤者乎?」

そのくせ、宮中のことも、完全に見尽くすことはできておりません。ましてや、地方にある沼沢地に関しては、どうして、私などが申し上げることができましょうか」とお答えしました。

・遍睹 もれなくすべてに及んでいるさまをみる。広くみる。一般にみる。

 

齊王曰:「雖然,略以子之所聞見言之。

斉王が重ねて、「そうでもあろうが、あなたが見聞された範囲でよいから、大体語られよ」といわれた。