司馬相如 《子虚賦 》(26 かの禹ですら、名前を能くしらないでしょうし、契ですら、その計策算を能くしたとは言えないこととなる。しかしながら、斉王は、諸侯の身分をわきまえられたため、遊びごとの楽しみや、狩り場の大きさなどは、わざと口にされなかったのです。

2013年10月2日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(26#10-3 文選 賦<109-#10-39分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩905 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3073

 

 

司馬 相如は、中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿。名は、もと犬子と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓氏との恋愛も有名である。

 

武帝の宮廷へ

ところで、中央では景帝が死に、武帝が皇帝の位についていた。武帝は景帝と違って、文学を大変好んでいた。あるとき、武帝は「子虚の賦」を読んで、大いに感動し、「この賦の作者と同じ時代に生きられなかったのは残念だ」とまで言った。武帝は「子虚の賦」が、ずっと昔の人によって書かれたと思っていたのだ。司馬相如と同郷である側近の楊得意という者が、「子虚の賦」の作者が今生きている人間で、名を司馬相如というと武帝に教えた。

武帝は早速司馬相如を召した。そのとき、司馬相如は、「子虚の賦」が諸侯のことを書いた内容であり、天子(皇帝)にたてまつるのにはふさわしくないと言った。そして、司馬相如は天子にふさわしくなるように「子虚の賦」を改作して、「天子游獵賦(『文選』では「子虚賦」と「上林賦」に分割。「子虚・上林賦」と称されることが多い。)」として、武帝にたてまつった。武帝は大いに喜び、司馬相如を郞に復職させた。

 

 

(24)10-1

且齊東陼鉅海,南有琅邪,

それに、斉は、東は大海に臨み、南は琅邪山まで領有しています。

觀乎成山,射乎之罘;

成山に台を建て観察し、之罘山で狩りをおこなった。

浮勃澥,游孟諸。

渤海に船を浮かべ、孟諸の沢に遊びます。

邪與肅慎為鄰,右以湯谷為界,

東北に在る粛慎國と隣り合い、東は湯谷を境界としています。

 (25) #102

秋田乎青丘,傍偟乎海外,

秋には青丘に出かけて狩猟をするのであり、そのまま海外の遊覧を行ってくるのです。

吞若雲夢者八九,其於匈中曾不蔕芥。

斉の土地は広大で雲夢沢程度のものを、八個か九個呑みこんだとしても、胸にとげがつかえたほどにも感じないでしょう。

若乃俶儻瑰偉,異方殊類,

また斉は他方で、世にも珍しく、高くすぐれている物産は、性質も種類も多種多様なのだ。

珍怪鳥獸,萬端鱗崒,

珍鳥怪獣の類が、鱗のようにひしめき合っている。

 (26) #103

充仞其中者,不可勝記,

国中に満ちあふれ、記しつくすこともできないほどです。

禹不能名,契不能計。

かの禹ですら、名前を能くしらないでしょうし、契ですら、その計策算を能くしたとは言えないこととなる。

然在諸侯之位,不敢言游戲之樂,苑囿之大;

しかしながら、斉王は、諸侯の身分をわきまえられたため、遊びごとの楽しみや、狩り場の大きさなどは、わざと口にされなかったのです。

先生又見客,是以王辭不復,

加えて、あなたを賓客として扱われていたために、遠慮されて、反論されなかったのです。

何為無以應哉!」

どうして「言い返すことができなかつた」などといえましょう。

 

(24) #10-1

且つ齊は東のかた鉅海【きょかい】を陼【しきり】とし,南のかた琅邪【ろうや】を有【たも】てり,。

山に觀 乎【つく】り,之罘【しふ】に射る。

勃澥【ぼっかい】に浮かび,孟諸【もうちょ】に

【なな】めに肅慎【しゅくしんと】鄰たり,右は湯谷を以って界と為せり。

(25) #102

秋には青丘に田【かり】し,海外に傍偟【ほうこう】す

雲夢の若き者も八九を吞めども,其の匈中に於て曾て蔕芥【たいかい】にもせず

若し乃ち俶儻【てきとう】瑰偉【かいい】として,方を異にし類を殊にするは,

珍怪鳥獸,萬端にして鱗【うろこ】もごとく【あつま】る

(26) #103

其の中に充仞【じゅうじん】し,勝【あ】げて記す可からず。

禹も名つくること能わず,契も計【かぞ】うること能わず。

然れども諸侯の位に在りては,敢て游戲の樂しみ,苑囿【えんゆう】の大いなることを言わず。

先生 又た 客と見【せ】られたり,是を以って王辭して復【こた】えず

何んぞ以って應【こた】うること無しと為さんや!」

泰山の夕日02 

 

『子虛賦』 現代語訳と訳註

(本文) (26) #103

充仞其中者,不可勝記,

禹不能名,契不能計。

然在諸侯之位,不敢言游戲之樂,苑囿之大;

先生又見客,是以王辭不復,

何為無以應哉!」

 

 

(下し文) (26) #103

其の中に充仞【じゅうじん】し,勝【あ】げて記す可からず。

禹も名つくること能わず,契も計【かぞ】うること能わず。

然れども諸侯の位に在りては,敢て游戲の樂しみ,苑囿【えんゆう】の大いなることを言わず。

先生 又た 客と見【せ】られたり,是を以って王辭して復【こた】えず

何んぞ以って應【こた】うること無しと為さんや!」

 

 

(現代語訳)

国中に満ちあふれ、記しつくすこともできないほどです。

かの禹ですら、名前を能くしらないでしょうし、契ですら、その計策算を能くしたとは言えないこととなる。

しかしながら、斉王は、諸侯の身分をわきまえられたため、遊びごとの楽しみや、狩り場の大きさなどは、わざと口にされなかったのです。

加えて、あなたを賓客として扱われていたために、遠慮されて、反論されなかったのです。

どうして「言い返すことができなかつた」などといえましょう。

 

 

(訳注) (26) #103

充仞其中者,不可勝記,

国中に富が満ちあふれ、記しつくすこともできないほどです。

・充仞 【じゅうじん】満ちて一杯になること。みちみちていること。充満。

 

禹不能名,契不能計。

かの禹ですら、名前を能くしらないでしょうし、契ですら、その計策算を能くしたとは言えないこととなる。

・禹 紀元前2070年頃、中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。

・契 1 固く約束する。2 夫婦の約束を結ぶ。3 男女が肉体的な関係を結ぶ。4.占うために亀の甲を焼く。5. 契(せつ、Xie、生没年不詳)は、殷王朝の始祖といわれる伝説上の人物。

 

然在諸侯之位,不敢言游戲之樂,苑囿之大;

しかしながら、斉王は、諸侯の身分をわきまえられたため、遊びごとの楽しみや、狩り場の大きさなどは、わざと口にされなかったのです。

・囿 園、動物のいる園、庭園、囲い、囲いをする、区切られた領域、関わる、拘泥する、ものが集まる場所、見識が狭い。

 

先生又見客,是以王辭不復,

加えて、あなたを賓客として扱われていたために、遠慮されて、反論されなかったのです。

 

何為無以應哉!」

どうして「言い返すことができなかつた」などといえましょう。

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