(班固)《兩都賦序》(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

2013年11月13日  の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《兩都賦序》文選 賦<1111>8分割8回 Ⅱ李白に影響を与えた詩947 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3283

 

 

固(はん こ、32 - 92年(建武八年 - 永元四年)は中国後漢初期の歴史家、文学者。字は孟堅。班超、班昭の兄。班勇(班超の三男)の伯父。「漢書」の編纂者として一般に知られるが、文学者としても「両都賦」などで名高い。

父班彪も歴史家であり、班固に先立ってすでに65編を編纂していた。班固は勅命により、父の業績を引き継ぎ、漢書をほぼ完成させたが、永元4年(92年)、和帝は竇憲一派の逮捕を命令し、班固もまた竇一族の娘を娶っていたため、この事件に連座して獄死した。

その後、未完の部分は妹の班昭が完成させた。

 

両都賦(りょうとふ)は、中国の詩作品のひとつである。中国後漢の歴史家・文学者である班固(32 - 92年)の作。

 

 

83年(章帝建初8年)頃の成立。題は西都(長安)賦と東都(洛陽)賦の意。

東都の主人と西都の客とを登場させ、西都の客が旧都長安の美しさ、文化や制度が整っていることを誇張表現し、そのあと東都主人が西都の客の主張に論じかえしながら、東都の美しさを語らせたもの。

班固は後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた。

『文選』等に収録されている。

 

序文は、賦の文学論を説いたのでない。西漢の文人にならい、洛陽の長安にまさる美点をうたう東漢の賛歌を作るというのである。次の「両都の賦」は、長安洛陽の比較論である。賊は修辞文学という宿命を脱することはできないが、時の王室、政治そして文明に対する批評もある。賛歌の壁を破れないため、批評の表現も弱められているが、修辞にひそむ風刺は看取できるであろう。西漢の宣帝の時、辞賦ほさしあたり必要ないものだとの意見に対し、宣帝は『論語』を引いて、なにもしないより将棋でもするがましだというが、辞既の大なるものは古詩と同じ価値があり、小なるものでも、美麗で楽しめる。女の手わざに綾ぎぬがあり、音楽に衡衛の娯楽音楽があり、世俗の耳目をなぐさめる。これにくらべると辞賦は、仁義も風刺もあり、鳥獣草木などの知識も得られ、倡優や将棋よりはるかにまきるといったという(『漢書』の王褒伝)。この言は為政者の文教政策的意識があり、倫理的価値観から賦を見ており、今日の近代的文学観にさほど遠いとしても、時評的な「両部の賦」と「二京の賦」とは、その批評精神によって、現代にも通じる文学性をもっている。

 

 

(原文)
東漢·班固 兩都賦序

        或曰:賦者,古詩之流也。昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。大漢初定,日不暇給。至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,以興廢繼,潤色鴻業。是以庶悅豫,福應尤盛,白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。神雀五鳳甘露龍之瑞,以為年紀。故言語侍從之臣,若司馬相如虞丘壽王東方朔枚皋王褒劉向之屬,朝夕論思,日月獻納;而公卿大臣,御史大夫倪寬、太常孔臧、太中大夫董仲舒、宗正劉德、太子太傳蕭望之等,時時間作。或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,雍容揄揚,著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。故孝成之世,論而之,蓋奏御者千有餘篇,而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

 

        且夫道有夷隆,學有密,因時而建德者,不以遠近易則。故皋陶歌虞,奚斯頌魯,同見采於孔氏,列于詩書,其義一也。稽之上古則如彼,考之漢室又如此。斯事雖細,然先臣之舊式,國家之遺美,不可闕也。臣竊見海清平,朝廷無事,京師脩宮室,浚城隍,起苑囿,以備制度。西土耆老,咸懷怨思,冀上之顧,而盛稱長安舊制,有陋邑之議。故臣作兩都賦,以極人之所眩曜,折以今之法度。其詞曰。

 

 兩都賦序 #1(8分割) 

(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

或曰:賦者,古詩之流也。

「賦は古詩の流派」という者がある。

昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。

思えば、昔周の初期、成王・康王が世を去って、頌歌の声はいつのまにかとだえ、康王の恩沢はつきはてて、詩はあらたに復活することもなかった。

大漢初定,日不暇給。

大漢の御代が定まったばかりのころは、多事多忙、詩を作る余裕はない。

(兩都の賦序)

或ひと曰く:賦は,古詩の流れ也と。昔 成康沒して 頌聲【しょうせい】寢【や】み,王澤【おうたく】竭【つき】て 詩作【おこ】らず。大漢初めて定めて,日 給するに。

暇あらず。 

くちなしの実01 

『兩都賦序』 現代語訳と訳註

(本文)

兩都賦序

或曰:賦者,古詩之流也。昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。大漢初定,日不暇給。

 

(下し文)

(兩都の賦序)

或ひと曰く:賦は,古詩の流れ也と。昔 成康沒して 頌聲【しょうせい】寢【や】み,王澤【おうたく】竭【つき】て 詩作【おこ】らず。大漢初めて定めて,日 給するに。

暇あらず。

 

(現代語訳)

(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

「賦は古詩の流派」という者がある。

思えば、昔周の初期、成王・康王が世を去って、頌歌の声はいつのまにかとだえ、康王の恩沢はつきはてて、詩はあらたに復活することもなかった。

大漢の御代が定まったばかりのころは、多事多忙、詩を作る余裕はない。

 

(訳注)

兩都賦序

(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

班固は後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた。『文選』等に収録されている。西漢の文人にならい、洛陽の長安にまさる美点をうたう東漢の賛歌を作るというものである。「西都賦」、「東都賦」により、長安洛陽の比較論をしている。賊は修辞文学という宿命を脱することはできないが、時の王室、政治そして文明に対する批評もある。賛歌の壁を破れないため、批評の表現も弱められているが、修辞にひそむ風刺は看取できるもである。

班孟堅/班固(はんこ、32 - 92年(建武八年 - 永元四年)は中国後漢初期の歴史家、文学者。字は孟堅。班超、班昭の兄。班勇(班超の三男)の伯父。「漢書」の編纂者として一般に知られるが、文学者としても「両都賦」などで名高い。

父班彪も歴史家であり、班固に先立ってすでに65編を編纂していた。班固は勅命により、父の業績を引き継ぎ、漢書をほぼ完成させたが、永元4年(92年)、和帝は竇憲一派の逮捕を命令し、班固もまた竇一族の娘を娶っていたため、この事件に連座して獄死した。

その後、未完の部分は妹の班昭が完成させた。

 

 

或曰:賦者,古詩之流也。

「賦は古詩の流派」という者がある。

・古詩之流 『詩経』序曰「詩有六義焉,一曰風,二曰賦,三曰比,四曰興,五曰雅,六曰頌。上以風化下,下以風刺上,主文而譎諫,言之者無罪,聞之者足以戒,故曰風。」

 『詩経』の大序に「詩に六義あり。一に日く風、二に日く賦、三に日く比、四に日く興、玉に日く雅、六に日く頌」とある。(上は以って下を風化し、下は以て上を風刺す。文を主とし譎諫【きつかん】す。之を言う者は罪無く,之を聞く者は以て戒しむるに足る,故に風と曰う。)

故に賦は古詩の流を為す也。文證を諸引し,皆 先ず以って明後に舉ぐ,以て作者は必ず祖述ぶ所有りと示す也。他 皆 此に類す。

 

昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。

思えば、昔周の初期、成王・康王が世を去って、頌歌の声はいつのまにかとだえ、康王の恩沢はつきはてて、詩はあらたに復活することもなかった。

・成康 周の成王と康王。成王は武王の子。康主は成王の子。成康時代は天下太平であったが、康王の子昭王の代より傾いた。

・頌 『詩経』の大序に「その成功を以て神明に告ぐるなり」とある。

・王澤 具体的には成・康両王のめぐみ。「礼儀に止まるは先王の沢なり」(『詩経』の序)。

・詩不作 「王者の跡息(や)みて詩亡ぶ」(『孟子』)。

 

大漢初定,日不暇給。

大漢の御代が定まったばかりのころは、多事多忙、詩を作る余裕はない。

大漢 漢の美称。光武帝の天下平定をいう。
魚玄機が宮島に