(班固)《兩都賦序》(2) 武帝・宣帝の代になり、はじめて礼楽の制度を重視し、文教政策を検討し、宮廷内には、文学の士の出仕する金馬門という役所、石葉という図書館を設け、宮廷外には、楽府という音楽関係の役所、協律都尉という音楽長官の制度を新設し、

2013年11月14日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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班孟堅(班固) 《兩都賦序》(2) 文選 賦<111213分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩948 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3288

 

 

兩都賦序#1

(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

或曰:賦者,古詩之流也。

「賦は古詩の流派」という者がある。

昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。

思えば、昔周の初期、成王・康王が世を去って、頌歌の声はいつのまにかとだえ、康王の恩沢はつきはてて、詩はあらたに復活することもなかった。

大漢初定,日不暇給。

大漢の御代が定まったばかりのころは、多事多忙、詩を作る余裕はない。

#2

至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,

武帝・宣帝の代になり、はじめて礼楽の制度を重視し、文教政策を検討し、

設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,

宮廷内には、文学の士の出仕する金馬門という役所、石葉という図書館を設け、宮廷外には、楽府という音楽関係の役所、協律都尉という音楽長官の制度を新設し、

以興廢繼,潤色鴻業。

廃止されたものを再興し、中絶したものを継続し、偉大な帝業を潤色して飾る。

是以眾庶悅豫,福應尤盛,

そのため、万民は悦び楽しみ、めでたいしるしは、ことの外盛んに現れる。

白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。

その瑞祥にちなみ、白麟、赤雁、芝房、宝鼎の歌が作られて、天地を祭る廟にささげられる。

#3

神雀五鳳甘露黃龍之瑞,以為年紀。

故言語侍從之臣,若司馬相如虞丘壽王東方朔枚皋王褒劉向之屬,

朝夕論思,日月獻納;

而公卿大臣,御史大夫倪寬、太常孔臧、太中大夫董仲舒、宗正劉德、太子太傳蕭望之等,時時間作。

#4

或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,雍容揄揚,

著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。

故孝成之世,論而錄之,蓋奏御者千有餘篇,

而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

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『兩都賦序』 現代語訳と訳註

(本文) #2

至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,

設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,

以興廢繼,潤色鴻業。

是以眾庶悅豫,福應尤盛,

白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。

 

 

(下し文) #2

武宣【ぶせん】の世に至りて、乃ち禮官を崇び、文章を考う。

内には金馬、石渠【せききょ】の署を設け、外には欒府、協律の事を興し、

以てれたるを興し、絶えたるを継ぎ、鴻業【こうぎょう】を潤色す。

是を以て衆庶【しゅうしょ】悅豫【えつよ】して、がん福應【ふくおう】尤も盛なり。

白麟【はくりん】赤雁【せきがん】、芝房【しぼう】寶鼎【ほうてい】の歌、郊廟【こうびょう】に薦める。

 

 

(現代語訳)

武帝・宣帝の代になり、はじめて礼楽の制度を重視し、文教政策を検討し、

宮廷内には、文学の士の出仕する金馬門という役所、石葉という図書館を設け、宮廷外には、楽府という音楽関係の役所、協律都尉という音楽長官の制度を新設し、

廃止されたものを再興し、中絶したものを継続し、偉大な帝業を潤色して飾る。

そのため、万民は悦び楽しみ、めでたいしるしは、ことの外盛んに現れる。

その瑞祥にちなみ、白麟、赤雁、芝房、宝鼎の歌が作られて、天地を祭る廟にささげられる。

魚玄機が宮島に 

 

(訳注) #2

至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,

武帝・宣帝の代になり、はじめて礼楽の制度を重視し、文教政策を検討し、

 前漢の武帝・帝。前漢の第9代皇帝。武帝の曾孫。初め民間に育ち、霍光に擁立されて皇帝に即位した。

 礼を司る官の総称。『漢書(武帝紀)』に、元朔五年六月、詔して、今礼楽はくずれてしまっているから、礼官をして学を勧め、散逸の文献を記録させ、礼楽を復興させよとある。また武帝の曾孫の宣帝紀に、甘露一年詔して、五経の同異を講ぜしめ、帝みずから是非を決めたとある。そのころの賦家王褒は、「四子講徳論」を作り、六芸を衣服にまとったような帝王だと、宣帝をたたえた。

 

設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,

宮廷内には、文学の士の出仕する金馬門という役所、石葉という図書館を設け、宮廷外には、楽府という音楽関係の役所、協律都尉という音楽長官の制度を新設し、

金馬 漢の官門の名。門のそばに銅鳥があった。門は官署の門である。鋼馬は中央アジアの大宛国の汗血馬を得た武帝が作らせたもの。金馬門の官署に、文学の士が任官の詔の下るのを待った。

石渠 閣の名。『三輔黄図』にょると、蕭何の造営、石をしき渠(ほり)を作り、水を引く。秦の図書をここに収め、成帝の時には大切な秘書の書庫とした。

楽府 天を祭る礼をさだめ、そのため音楽の役所(府)を設けた。そして地方の詩歌まで集め、楽器にかけた。それより、この類の歌を楽府という。

協律 音律をととのう。武帝は李延年をその任にあて、司馬相如ら数十人に、詩賦を作らせ、律呂をしらべ、楽器に合わせた。以上『漢書』の礼楽志による。

 

以興廢繼,潤色鴻業。

廃止されたものを再興し、中絶したものを継続し、偉大な帝業を潤色して飾る。

潤色 色とは飾ること。

 

是以眾庶悅豫,福應尤盛。

そのため、万民は悦び楽しみ、めでたいしるしは、ことの外盛んに現れる。

福応 祥瑞。

 

白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。

その瑞祥にちなみ、白麟、赤雁、芝房、宝鼎の歌が作られて、天地を祭る廟にささげられる。

白麟 元狩元年、蕹(陝西省の西境)に行幸し、これを得て歌を作る(武帝紀)。

赤雁 大始三年、東海(山東省江蘇以東の郡名)に行幸し、これを得て朱雁歌を作る(同上)。

芝房 元封二年、甘泉官(陝西の甘泉山にあり)に行幸し、その後房に、九茎連葉の瑞草、一名霊芝が生えたので、後房を芝房といい、その歌を作る(同上)。この瑞草は長寿の仙草。

寶鼎 元鼎四年、汾陰の后土(太一の神)を祭るそばから、珍しい鼎が出た。また駿馬が水中より出たので神馬と称し、宝鼎天馬歌を作る。序文は天馬を省く。礼楽志には元鼎五年とし、神馬は元狩三年とす。また芝房は斎房と記す。
花蕊夫人006