(班固)《兩都賦序》(4)そもそもこういうことは『詩経』の雅と頌とに次ぐものなである。されば成帝の代に、経伝、諸子、詩賦を整理してこれを記録した。およそ天子に奏上したものはこの時、激増して、千篇を遙かに超えるものであったという。かくて大漢の文学は、あきらかに夏・殷・周の三代と文風を同じくしたのである。


2013年11月16日 の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《兩都賦序》(4) 文選 賦<111413分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩950 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3298

 

 

東漢·班固 兩都賦序

        或曰:賦者,古詩之流也。昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。大漢初定,日不暇給。至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,以興廢繼,潤色鴻業。是以庶悅豫,福應尤盛,白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。神雀五鳳甘露龍之瑞,以為年紀。故言語侍從之臣,若司馬相如虞丘壽王東方朔枚皋王褒劉向之屬,朝夕論思,日月獻納;而公卿大臣,御史大夫倪寬、太常孔臧、太中大夫董仲舒、宗正劉德、太子太傳蕭望之等,時時間作。或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,雍容揄揚,著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。故孝成之世,論而之,蓋奏御者千有餘篇,而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

 

        且夫道有夷隆,學有密,因時而建德者,不以遠近易則。故皋陶歌虞,奚斯頌魯,同見采於孔氏,列于詩書,其義一也。稽之上古則如彼,考之漢室又如此。斯事雖細,然先臣之舊式,國家之遺美,不可闕也。臣竊見海清平,朝廷無事,京師脩宮室,浚城隍,起苑囿,以備制度。西土耆老,咸懷怨思,冀上之顧,而盛稱長安舊制,有陋邑之議。故臣作兩都賦,以極人之所眩曜,折以今之法度。其詞曰。

 

 

#1

或曰:賦者,古詩之流也。

昔成康沒而頌聲寢,王澤竭而詩不作。

大漢初定,日不暇給。

(後漢の皇帝である和帝(在位88 -105年)が都を洛陽(東都)から前漢時代の都の長安(西都)に移そうとするのを危惧して、この賦を作りいさめた賦。序文)

「賦は古詩の流派」という者がある。

思えば、昔周の初期、成王・康王が世を去って、頌歌の声はいつのまにかとだえ、康王の恩沢はつきはてて、詩はあらたに復活することもなかった。

大漢の御代が定まったばかりのころは、多事多忙、詩を作る余裕はない。

#2

至於武宣之世,乃崇禮官,考文章,

設金馬石渠之署,外興樂府協律之事,

以興廢繼,潤色鴻業。

是以眾庶悅豫,福應尤盛,

白麟赤雁芝房寶鼎之歌,薦於郊廟。

武帝・宣帝の代になり、はじめて礼楽の制度を重視し、文教政策を検討し、

宮廷内には、文学の士の出仕する金馬門という役所、石葉という図書館を設け、宮廷外には、楽府という音楽関係の役所、協律都尉という音楽長官の制度を新設し、

廃止されたものを再興し、中絶したものを継続し、偉大な帝業を潤色して飾る。

そのため、万民は悦び楽しみ、めでたいしるしは、ことの外盛んに現れる。

その瑞祥にちなみ、白麟、赤雁、芝房、宝鼎の歌が作られて、天地を祭る廟にささげられる。

#3

神雀五鳳甘露黃龍之瑞,以為年紀。

故言語侍從之臣,若司馬相如虞丘壽王東方朔枚皋王褒劉向之屬,

朝夕論思,日月獻納;

而公卿大臣,御史大夫倪寬、太常孔臧、太中大夫董仲舒、宗正劉德、太子太傳蕭望之等,時時間作。

神雀()、五鳳、甘露、黄龍の瑞祥は、年号にあてられる。

そうして、言語で天子に侍従する文学の臣には、司馬相如・虞丘寿三・東方朔・枚皋・王褒・劉向といった面々が属し、朝から夕方まで討論沈思して、日々月々に天子に善言をたてまつるのである。

そして公卿大臣には、御史大夫の侃寛を、

太常の官の孔臧、大中大夫の董仲舒を、

宗正の官の劉徳、太子太傳の蕭望之などのお歴々が、時々こもごもに文を綴る。

#4

或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,雍容揄揚,

著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。

故孝成之世,論而錄之,蓋奏御者千有餘篇,

而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

あるいはそれで下々のようすを把握して、天子に直諫せずそれとなく諭す。あるいは天子の徳を全て具体的に明らかにすることで、忠孝をつくすのである。

天子にふさわしく大らかにほめそやして、その時代の世の人に見せてくれる。そもそもこういうことは『詩経』の雅と頌とに次ぐものなである。

されば成帝の代に、経伝、諸子、詩賦を整理してこれを記録した。およそ天子に奏上したものはこの時、激増して、千篇を遙かに超えるものであったという。

かくて大漢の文学は、あきらかに夏・殷・周の三代と文風を同じくしたのである。

 

 

『兩都賦序』 現代語訳と訳註

(本文)  #4

或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,雍容揄揚,

著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。

故孝成之世,論而錄之,蓋奏御者千有餘篇,

而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

 

(下し文) #4

或は以て下情を抒べて諷諭を通じ、或は以て上徳を宣べて忠孝を盡し、

薙容揄揚して、後嗣に著せり。抑【そもそ】も亦た雅頌の亜【つぎ】なり。

故に孝成の世、論じて之を録す。蓋し奏御せる者、千有餘篇なり。

而る後大漢の文章、炳焉【へいえん】として三代と風を同うせり。

 

(現代語訳)

あるいはそれで下々のようすを把握して、天子に直諫せずそれとなく諭す。あるいは天子の徳を全て具体的に明らかにすることで、忠孝をつくすのである。

天子にふさわしく大らかにほめそやして、その時代の世の人に見せてくれる。そもそもこういうことは『詩経』の雅と頌とに次ぐものなである。

されば成帝の代に、経伝、諸子、詩賦を整理してこれを記録した。およそ天子に奏上したものはこの時、激増して、千篇を遙かに超えるものであったという。

かくて大漢の文学は、あきらかに夏・殷・周の三代と文風を同じくしたのである。

 

 

(訳注) #4

或以抒下情而通諷諭,或以宣上德而盡忠孝,

あるいはそれで下々のようすを把握して、天子に直諫せずそれとなく諭す。あるいは天子の徳を全て具体的に明らかにすることで、忠孝をつくすのである。

抒 取り出してのべる。

下情 宣帝紀に地節二年「群臣をして封事を奏するを得しめて下情を知る」とある。

諷諭 それとなくさとす。直諫ではない。

 

雍容揄揚,著於後嗣,抑亦雅頌之亞也。

天子にふさわしく大らかにほめそやして、その時代の世の人に見せてくれる。そもそもこういうことは『詩経』の雅と頌とに次ぐものなである。

薙容 つりあいがとれて、ゆとりのあるさま。天子にふさわしく大らかに。

揄揚 揄は説文に「引」、ひっぱる。揚はあがる。物に託して高くする意。ほめそやす。

雅頌 『詩経』の六義に風・賦・比・興・雅・頌とあり、文体の名。雅は「天下の事を言ひ、四方の風を形す。これを雅と謂ふ。」(『詩経』の大序)。頌は「盛徳の形容を美とし、其の成功を以て、神明に告ぐる者なり。」(同上)とある。朕は『詩経』の雅頌に次ぐ文学とみられた。

 

故孝成之世,論而錄之,蓋奏御者千有餘篇,

されば成帝の代に、経伝、諸子、詩賦を整理してこれを記録した。およそ天子に奏上したものはこの時、激増して、千篇を遙かに超えるものであったという。

論而録之 芸文志に「成帝の時に至り、光緑大夫劉向に詔して、経伝、諸子、詩賦を校せしむ。」とある。

千有余篇 成帝は、謁者の官(詔を奉ずる使者)の陳虔というものに命じ、全国から書を求めさせた(河平三年)。この年劉向は宮廷の秘書を校訂した。芸文志によると「凡そ詩賦百六家千三百一十八篇」とある。ここから歌詩の類を除いても、七十八家一千四篇となる。宣帝と成帝の代に激増した。

 

 

而後大漢之文章,炳焉與三代同風。

かくて大漢の文学は、あきらかに夏・殷・周の三代と文風を同じくしたのである。

文章 文学。

柄焉 あきらかに。

三代 夏・殷・周。