班固《西都賦》(26)(朝廷の百官) 未央宮の広庭の朝堂に左右して、百官の座がある。高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。高祖受命の大業を手伝っては皇統を永く子孫に伝え、宣帝をたすけては太平の世とする。そして大漢の仁政を天下にはどこし、亡秦の虐政の毒害を一掃した。

2013年12月16日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(26)#10-1(朝廷の百官) 文選 賦<112―26>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩980 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3448
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 225  《贈鄭夫子魴》 孟郊(孟東野)  唐宋詩kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3451 (12/16)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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班孟堅(班固)《西都賦》(26)#10-1(朝廷の百官) 文選 賦<1122618分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩980 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3448

 

 

10-1

左右庭中,朝堂百寮之位。

蕭曹魏邴,謀謨乎其上。

佐命則垂統,輔翼則成化。

流大漢之愷悌,盪亡秦之毒螫。

故令斯人揚樂和之聲,作畫一之歌。

(朝廷の百官) 未央宮の広庭の朝堂に左右して、百官の座がある。

高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。

高祖受命の大業を手伝っては皇統を永く子孫に伝え、宣帝をたすけては太平の世とする。

そして大漢の仁政を天下にはどこし、亡秦の虐政の毒害を一掃した。

だから西都の人々は太平楽に合わせて和累の声を揚げ、「画一の歌」まで作ることとなったのだ。

10-2

功德著乎祖宗,膏澤洽乎黎庶。

又有天祿石渠,典籍之府。

命夫惇誨故老,名儒師傅。

講論乎六蓺,稽合乎同異。

又有承明金馬,著作之庭。

大雅宏達,於茲為群。

10-3

元元本本,殫見洽聞。

發篇章,校理秘文。

周以鉤陳之位,衛以嚴更之署。

總禮官之甲科,群百郡之廉孝。

虎賁贅衣,閹尹閽寺。

陛戟百重,各有典司。

長安城の位置関係 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (26)#10-1

左右庭中朝堂,百寮之位。

蕭曹魏邴,謀謨乎其上。

佐命則垂統,輔翼則成化。

流大漢之愷悌,盪亡秦之毒螫。

故令斯人揚樂和之聲,作畫一之歌。

 

 (下し文) 10-1

庭中の朝堂に左右して、百寮の位あり。

蕭曹【しょうそう】魏邴【ぎへい】,乎其の上に謀謨【ぼうぼ】し

命を佐【たす】けては則ち統を垂れ,輔翼しては則ち化を成し。

大漢の愷悌【がいてい】を流きて,亡秦の毒螫【どくせき】を【ほろぼ】す

故に斯の人をして樂和の聲を揚げ,畫一【かくいつ】の歌を作ら令める。

 

(現代語訳)

(朝廷の百官) 未央宮の広庭の朝堂に左右して、百官の座がある。

高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。

高祖受命の大業を手伝っては皇統を永く子孫に伝え、宣帝をたすけては太平の世とする。

そして大漢の仁政を天下にはどこし、亡秦の虐政の毒害を一掃した。

だから西都の人々は太平楽に合わせて和累の声を揚げ、「画一の歌」まで作ることとなったのだ。

 

漢長安図 

(訳注) 10-1

左右庭中,朝堂百寮之位。

(朝廷の百官) 未央宮の広庭の朝堂に左右して、百官の座がある。

庭中 天子が議事を行う広場。漢代はここに坐して会議を開くこともあった。

朝堂 政務をとる堂。中庭にあり大臣の坐る所。東によったところにあり南向き。

百寮 百官。

位 ここは朝里の左右の坐席の順位。

 

蕭曹魏邴,謀謨乎其上。

高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。

 何。高祖の相国(宰相)となる。 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦に天下を取らせた、漢の三傑の一人。

曹 曹参。粛何に代わって相国となる。中国,漢の高祖の功臣。沛(はい)(江蘇省沛県)の人。沛県の獄吏であったが,劉邦が挙兵すると彼に従って各地を転戦。漢の天下統一後は斉王の相となり,平陽侯に封ぜられた。蕭何(しようか)が死ぬと漢の相国(宰相)の職を継いだが,すべて蕭何の定めた規約に従い,一事として変更することはなかった。その政治は,道家の精神により清静無為を尊び,言辞は正道,人民は休息を得て,賢相とたたえられた。

 魏相。宣帝の丞相。魏 相(ぎ しょう、? - 紀元前59年)は、前漢の政治家。字は弱翁。 済陰郡定陶の出身で、後に平陵に移住した。易経を学んで郡の卒史から賢良に挙げられ、茂陵令となった。茂陵は大いに治まったという。 河南太守に昇進し、豪族も憚る厳格な統治を行なった。

 吉。魏相に代わって丞相となる。邴吉(?~前55),字少卿,国北海人,曾官廷尉,光武省右。昭帝曾任大将军长

 

佐命則垂統,輔翼則成化。

高祖受命の大業を手伝っては皇統を永く子孫に伝え、宣帝をたすけては太平の世とする。

佐命 天命を受けた高祖を助ける。仕は手伝うの意。

垂統 天子の血統をたれる。

輔翼 たすける。

成化 太平の世にする。

 

流大漢之愷悌,盪亡秦之毒螫。

そして大漢の仁政を天下にはどこし、亡秦の虐政の毒害を一掃した。

愷悌 やわらぎ楽しむ。仁政を指す。

毒蟄 虐政の比喩。

 

故令斯人揚樂和之聲,作畫一之歌。

だから西都の人々は太平楽に合わせて和累の声を揚げ、「画一の歌」まで作ることとなったのだ。

楽和 音楽のどかなこと。軽じて楽しくやわらぐの意。歌は徳を、舞は功を表す。

畫一之歌 曹参をたたえた歌。「百姓之を歌ひて曰く、何法を為り、較かにすること画一の若し。曹参之に代はり、守りて失ふ勿し。其の清浄を載ひて、民以て寧一なり」(『漢書』曹参伝)。

函谷関長安地図座標005