(班固)《西都賦》(29)(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。輦車の通る間道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

2013年12月19日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13
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班孟堅(班固)《西都賦》(29)11(閣道と建章宮)-1 文選 賦<1122918分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩983 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3463

 

(29)11-1

周廬千列,徼道綺錯。

(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。

輦路經營,脩除飛閣。

輦車の通る閣道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

自未央而連桂宮,北彌明光而亙長樂。

閣道は末央宮から桂宮につらなり、北は明光殿に至り、そこから東の長楽宮にわたってゆく。

道而超西墉,建章而連外屬。

坂道を越えて登り西のかたの城郭を飛びこえ、建章官と合体してから宮外に続く。

設璧門之鳳闕,上觚稜而棲金爵。

璧門という建章宮の正門と鳳闕という望楼とを設け、屋眼は隅を高くそりあげて、金色の鳳凰が据えられている。

 (30)11-2

則別風之嶕嶢,眇麗巧而聳擢。

張千門而立萬,順陰陽以開闔。

爾乃正殿崔嵬,層構厥高,臨乎未央。

經駘盪而出馺娑,洞詣以與天梁。

上反宇以蓋戴,激日景而納光。

 

周廬 千列し,徼道【きょうどう】綺錯【きさく】す。

輦路【れんろ】經營,脩除【しゅうじょ】飛閣あり。

未央より桂宮に連なり,北のかた明光を彌【わた】りて長樂に亙【わた】る。

道【とうどう】を凌いで西墉【せいよう】を超え,建章に【おなじゅう】して連外に屬【つづ】く。

璧門と鳳闕【ふうけつ】を設【もう】け,上は觚稜【こりょう】して金爵【きんじゃく】を棲ましむ

 

には則ち別風、嶕嶢【しょうぎょう】にして,眇麗【みょうれい】巧にして聳【そび】え擢【ぬきん】でる。

千門を張りて萬立ち,陰陽に順って以て開闔【かいこう】す。

爾して乃ち正殿、崔嵬【さいかい】として,層構し、厥【そ】の高きこと,未央に臨む。

駘盪【たいとう】を經て馺娑【きゅうさ】を出で,詣【えいけい】に洞【とお】りて以て天梁に與【およ】ぶ。

反宇【はんう】上げて以て蓋戴【がいたい】し,日景【にっけい】を激して光を納【い】る。

 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (29)11-1

周廬千列,徼道綺錯。

輦路經營,脩除飛閣。

自未央而連桂宮,北彌明光而亙長樂。

道而超西墉,建章而連外屬。

設璧門之鳳闕,上觚稜而棲金爵。

 

(下し文)

周廬 千列し,徼道【きょうどう】綺錯【きさく】す。

輦路【れんろ】經營,脩除【しゅうじょ】飛閣あり。

未央より桂宮に連なり,北のかた明光を彌【わた】りて長樂に亙【わた】る。

道【とうどう】を凌いで西墉【せいよう】を超え,建章に【おなじゅう】して連外に屬【つづ】く。

璧門と鳳闕【ふうけつ】を設【もう】け,上は觚稜【こりょう】して金爵【きんじゃく】を棲ましむ

 

 

(現代語訳)

(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。

輦車の通る間道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

閣道は末央宮から桂宮につらなり、北は明光殿に至り、そこから東の長楽宮にわたってゆく。

坂道を越えて登り西のかたの城郭を飛びこえ、建章官と合体してから宮外に続く。

璧門という建章宮の正門と鳳闕という望楼とを設け、屋眼は隅を高くそりあげて、金色の鳳凰が据えられている。

 

 漢長安図

(訳注) (29)11-1

周廬千列,徼道綺錯。

(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。

周廬 末央官をとりまく宿直の屯所。郎中などの居るところを署といい、衛卒の居るところを臆という。

徼道 見まわりの夜の別なく巡視する。中尉の官の職とするところで、京師全体を巡察して盗賊にそなえた。武帝の時中尉の名を改めて執金吾という(百官公卿表)。

綺錯 は、縦横だけでなく斜めもあり、迷走して入り乱れる。

・建章宮 秦始皇帝の上林苑のほか,咸陽の離宮で渭水の水を引いて池を作り蓬萊山(ほうらいさん)を築いているのは人工的な築山(つきやま)の先駆である。前漢武帝は上林苑を拡張し,建章宮では太液池(たいえきち)中に東海神山をかたどった築山を作った。茂陵の袁広漢の造園は石の築山,砂の洲浜を備え,珍奇な禽獣や樹木を集め,多くの建築を配したもので,すでに山水,花木と建築を組み合わせる中国庭園の原型がうかがえる。

・未央宮:中国,漢の長安城内南西隅にあった宮城。前漢の高祖7(200)より丞相の蕭何(しようか)が中心となって築き,恵帝から平帝までの皇帝が常居とした。東闕,北闕,前殿をはじめ宣室殿,温室殿,清涼殿など多数の殿閣,武庫,太倉等があったと伝える。王莽(おうもう)のとき廃され,後漢末に修復,前趙,西魏,唐にも修復された。遺跡は陝西省西安市北西郊にあり,宮牆はおよそ東西2300m,南北2000m,前殿基壇は約南北200m,東西100mの規模をもつ。

 

輦路經營,脩除飛閣。

輦車の通る間道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

 天子の輦が通る路。高く架けた閣道になっている。閣道は上下二重の廊下であり、複道ともいう。

経営 「直行を経となし、周行を營となす」(「魏郡の賦」の張銑注)。直線的にのびたり、由線的に湾曲したりして閣道が続くさま。

 情は長い。除は、徐すなわち塗(みち)。

飛閣 高く弧を画いてかけ相のようになっている閣道。「城中を小なりとし乃ち(末央)宮の西のかた城池を跨ぎて飛閣を作り、建章宮に通じ、輦道を構へ以て上下す。」(『三輔黄図』)

 

自未央而連桂宮,北彌明光而亙長樂。

閣道は末央宮から桂宮につらなり、北は明光殿に至り、そこから東の長楽宮にわたってゆく。

桂官・明光 末央官の北にある殿の名。前者は武帝の造営。周園十金箱ぺその中に後者の明光殿がある。「金玉珠城(円い玉と四角な玉)もて旅箔(折だ)を為(い)り、処処に明月の珠、金の陛(賢)、玉階あり、昼夜光明なり」 (『三秦記』)。

彌 終わるの意あり。向こうまでつらぬきとおる。

亙 おしかけてわたる。

長楽 宮殿の名。もと秦の興楽官。漢はこれを大きくする。楼台や五つの御殿があった。

高祖は未央官を朝廷の集会に使い、平素は東の長楽宮に居る。その後太后が住み、恵帝から平帝までは未央宮に居た。宣帝の時鳳凰がとまったという(『三輔黄図』)。

 

道而超西墉,建章而連外屬。

坂道を越えて登り西のかたの城郭を飛びこえ、建章官と合体してから宮外に続く。

 越える。

 坂

西墉 西の垣、城郭。

 「同」の意。

連外属 版本によっては「連属」とあるが、「外」は衍字であるが意味として、宮外に続く。

 

設璧門之鳳闕,上觚稜而棲金爵。

璧門という建章宮の正門と鳳闕という望楼とを設け、屋眼は隅を高くそりあげて、金色の鳳凰が据えられている。

璧門之鳳闘 「之」は「興」と同じ。壁門と鳳闕。前者は建章宮の正門。三層で高さ二十余丈、階陛はみな玉で、楼の橡(たるき)に璧玉をはめて飾ってあったという(漢の武帝故事)。後者はその正門の東にあり、高さ二十余丈、その上に鳳凰か飾ってあった。

觚稜 弧は、觚は、柧と同じ。四角の木材の角。四阿作りの宮殿の四方(二重屋根の場合は八方)の屋根の角を上へそらせてあること。また屋の最も高い所とも考えられる。

金爵 爵は雀。銅製の鳳凰で、金をかぶせてある。

長安城の位置関係 



建章宮

  武帝太初元年、柏梁殿が火災に遭ったため、二月に建設を始めたのが 建章宮である。 建章宮は長安城外、未央宮の西にある。

  『漢書』,『史記』,『郊祀志』によれば、鳳闕がその高さ二十余丈(46m)、漸台その高さ二十余丈、 神明台の楼その高さ五十丈(凡そ116m)

  『水経注』によれば建章宮は周回二十余里(8.3km)。鳳闕の高さを十七丈五尺(40m)という

  『雍録』によれば、建章宮は長安城外にあるが、閣道によって未央宮と連絡している。

  『三輔旧事』によれば、神明殿は建章宮に属するとする。

 

  建章宮の正門、璧門はその高さ二十五丈(凡そ58m)

  『三輔旧事』によれば、建章宮は周回三十里。東に別に鳳闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m) 遥か遠くを望むことができる。宮門の北には圓闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m)。その闕の上には銅でできた 鳳凰像がある。のちに赤眉賊がこれを壊した。

  『廟記』によれば建章宮の北門はその高さ二十五丈(凡そ58m)鳳凰闕その高さ十七丈五尺(40m)

  楊震著『関輔古語』によれば、長安の民俗では。鳳凰闕を貞女楼と呼んでいた。