班固《西都賦》(30) 建章宮の正殿は高大で層を重ねて構築され、その高さは未央の宮殿を下に見おろすほどである。四つの殿堂があり、駘盪殿を通り抜け馺娑殿より出て、殿をつきぬけると天梁殿に達する。殿堂を覆う屋根は、はね上がる飛簷の軒であるので、宮殿の美しい輝きが、外の日光に反射して逆光となり、宮室にさしこみ照りはえる

 

2013年12月20日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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班孟堅(班固)《西都賦》(30)11-2 文選 賦<1123018分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩984 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3468

 

 

(29)11-1

周廬千列,徼道綺錯。

(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。

輦路經營,脩除飛閣。

輦車の通る閣道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

自未央而連桂宮,北彌明光而亙長樂。

閣道は末央宮から桂宮につらなり、北は明光殿に至り、そこから東の長楽宮にわたってゆく。

道而超西墉,建章而連外屬。

坂道を越えて登り西のかたの城郭を飛びこえ、建章官と合体してから宮外に続く。

設璧門之鳳闕,上觚稜而棲金爵。

璧門という建章宮の正門と鳳闕という望楼とを設け、屋眼は隅を高くそりあげて、金色の鳳凰が据えられている。

 (30)11-2

則別風之嶕嶢,眇麗巧而聳擢。

その内側に風の方向を知るという別風闕の望楼があり、高きが上にも高く、壮麗きわまる美観を呈し、細工の巧をつくしてそそり立つ。

張千門而立萬,順陰陽以開闔。

千という門を設け、万という門扉を立て、夜と昼とにしたがって開閉する。

爾乃正殿崔嵬,層構厥高,臨乎未央。

かくて建章宮の正殿は高大で層を重ねて構築され、その高さは未央の宮殿を下に見おろすほどである。

經駘盪而出馺娑,洞詣以與天梁。

四つの殿堂があり、駘盪殿を通り抜け馺娑殿より出て、殿をつきぬけると天梁殿に達する。

上反宇以蓋戴,激日景而納光。

殿堂を覆う屋根は、はね上がる飛簷の軒であるので、宮殿の美しい輝きが、外の日光に反射して逆光となり、宮室にさしこみ照りはえる。

 

周廬 千列し,徼道【きょうどう】綺錯【きさく】す。

輦路【れんろ】經營,脩除【しゅうじょ】飛閣あり。

未央より桂宮に連なり,北のかた明光を彌【わた】りて長樂に亙【わた】る。

道【とうどう】を凌いで西墉【せいよう】を超え,建章に【おなじゅう】して連外に屬【つづ】く。

璧門と鳳闕【ふうけつ】を設【もう】け,上は觚稜【こりょう】して金爵【きんじゃく】を棲ましむ

 

には則ち別風、嶕嶢【しょうぎょう】にして,眇麗【みょうれい】巧にして聳【そび】え擢【ぬきん】でる。

千門を張りて萬立ち,陰陽に順って以て開闔【かいこう】す。

爾して乃ち正殿、崔嵬【さいかい】として,層構し、厥【そ】の高きこと,未央に臨む。

駘盪【たいとう】を經て馺娑【きゅうさ】を出で,詣【えいけい】に洞【とお】りて以て天梁に與【およ】ぶ。

反宇【はんう】上げて以て蓋戴【がいたい】し,日景【にっけい】を激して光を納【い】る。

長安城の位置関係 

 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (30)11-2

則別風之嶕嶢,眇麗巧而聳擢。

張千門而立萬,順陰陽以開闔。

爾乃正殿崔嵬,層構厥高,臨乎未央。

經駘盪而出馺娑,洞詣以與天梁。

上反宇以蓋戴,激日景而納光。

 

(下し文)

には則ち別風、嶕嶢【しょうぎょう】にして,眇麗【みょうれい】巧にして聳【そび】え擢【ぬきん】でる。

千門を張りて萬立ち,陰陽に順って以て開闔【かいこう】す。

爾して乃ち正殿、崔嵬【さいかい】として,層構し、厥【そ】の高きこと,未央に臨む。

駘盪【たいとう】を經て馺娑【きゅうさ】を出で,詣【えいけい】に洞【とお】りて以て天梁に與【およ】ぶ。

反宇【はんう】上げて以て蓋戴【がいたい】し,日景【にっけい】を激して光を納【い】る。

 

(現代語訳)

その内側に風の方向を知るという別風闕の望楼があり、高きが上にも高く、壮麗きわまる美観を呈し、細工の巧をつくしてそそり立つ。

千という門を設け、万という門扉を立て、夜と昼とにしたがって開閉する。

かくて建章宮の正殿は高大で層を重ねて構築され、その高さは未央の宮殿を下に見おろすほどである。

四つの殿堂があり、駘盪殿を通り抜け馺娑殿より出て、殿をつきぬけると天梁殿に達する。

殿堂を覆う屋根は、はね上がる飛簷の軒であるので、宮殿の美しい輝きが、外の日光に反射して逆光となり、宮室にさしこみ照りはえる。

漢長安図 

 

(訳注) (30)11-2

則別風之嶕嶢,眇麗巧而聳擢。

その内側に風の方向を知るという別風闕の望楼があり、高きが上にも高く、壮麗きわまる美観を呈し、細工の巧をつくしてそそり立つ。

 建章宮の正門の内側。

別風 闕の名。城外にあり風の方向を識別するに都合がよいので建てた。高さ五十丈(『黄囲』)。

嶕嶢 高くさかしい。

眇麗 精巧で壮麗なさま。

 

張千門而立萬,順陰陽以開闔。

千という門を設け、万という門扉を立て、夜と昼とにしたがって開閉する。

千門・万戸 「武帝建章宮を作り、度りて千門万戸を為り、前殿(正殿)は度りて未央宮より高くす」(『漢書』の郊祀志)。

陰陽 夜昼。

 

爾乃正殿崔嵬,層構厥高,臨乎未央。

かくて建章宮の正殿は高大で層を重ねて構築され、その高さは未央の宮殿を下に見おろすほどである。

 

經駘盪而出馺娑,洞詣以與天梁。

四つの殿堂があり、駘盪殿を通り抜け馺娑殿より出て、殿をつきぬけると天梁殿に達する。

駘盪・馺娑 建章宮内の殿堂。次項も同じ。馺娑は「馬の行くことの疾い貌。馬行迅疾。一日の間宮中を遍くす。宮中の大なるを言ふ」(『三輔黄図』原注)。駘盪は「春時景物駘蕩として宮中に満つるなり」(同上)。殿堂の名称の意味を記す。

・天梁 前者は「木の名。宮中美木茂盛なり」(同上)。名は「梁木大に至る。宮の高きを言ふなり」。

 

上反宇以蓋戴,激日景而納光。

殿堂を覆う屋根は、はね上がる飛簷の軒であるので、宮殿の美しい輝きが、外の日光に反射して逆光となり、宮室にさしこみ照りはえる。

蓋戴 覆う。

日景 日光。太陽の光に反射して逆光となり室内にさしこむ(呂延濟の注)。

長安付近図00 

 建章宮

  武帝太初元年、柏梁殿が火災に遭ったため、二月に建設を始めたのが 建章宮である。 建章宮は長安城外、未央宮の西にある。

  『漢書』,『史記』,『郊祀志』によれば、鳳闕がその高さ二十余丈(46m)、漸台その高さ二十余丈、 神明台の楼その高さ五十丈(凡そ116m)

  『水経注』によれば建章宮は周回二十余里(8.3km)。鳳闕の高さを十七丈五尺(40m)という

  『雍録』によれば、建章宮は長安城外にあるが、閣道によって未央宮と連絡している。

  『三輔旧事』によれば、神明殿は建章宮に属するとする。

 

  建章宮の正門、璧門はその高さ二十五丈(凡そ58m)

  『三輔旧事』によれば、建章宮は周回三十里。東に別に鳳闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m) 遥か遠くを望むことができる。宮門の北には圓闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m)。その闕の上には銅でできた 鳳凰像がある。のちに赤眉賊がこれを壊した。

  『廟記』によれば建章宮の北門はその高さ二十五丈(凡そ58m)鳳凰闕その高さ十七丈五尺(40m)

  楊震著『関輔古語』によれば、長安の民俗では。鳳凰闕を貞女楼と呼んでいた。