班固《西都賦》(31) 建章宮の神明台は、むくむくと身を起こして独りだちとなり、引き続き高々と上へ上へと高さ五十丈ものぼっていく。三分の二ほどのところで雲雨を追い抜き、最上層の棟と梁のまわりには虹が帯のようにとりまいている。たとえ身軽く早業のものや、すばしこいものであっても、これにはたじろいて見つめるばかりで、そこまで一気にのぼりつくことができない。


2013年12月21日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(31)#12(建章宮の高楼)-1 文選 賦<112―31>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩985 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3473
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(15)#10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 726 《遣憂〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <633>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3475 杜甫詩1000-633-889/1500〔草堂逸詩拾遺-(2)〕
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 230  《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3476 (12/21)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 10 浣溪紗八首 其八 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-386-9-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3477
 
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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班孟堅(班固)《西都賦》(31)12(建章宮の高楼)-1 文選 賦<1123118分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩985 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3473           

 杏の白花012

 

(31)12(建章宮の高楼)-1

神明鬱其特起,遂偃蹇而上躋。

(建章宮の高楼)建章宮の神明台は、むくむくと身を起こして独りだちとなり、引き続き高々と上へ上へと高さ五十丈ものぼっていく。

軼雲雨於太半,虹霓迴帶於棼楣。

三分の二ほどのところで雲雨を追い抜き、最上層の棟と梁のまわりには虹が帯のようにとりまいている。

雖輕迅與僄狡,猶眙而不能階。

たとえ身軽く早業のものや、すばしこいものであっても、これにはたじろいて見つめるばかりで、そこまで一気にのぼりつくことができない。

攀井幹而未半,目眴轉而意迷。

井幹楼をよじのぼったら、まだ半分にも達しないのに、目はくらみ心は動転するほどだ。

舍櫺檻而卻倚,若顛墜而復稽。

手すりをはなしたら、後すざりしてよりかかろうとすれば、今にも転落しそうな気がして、またふみとどまる。

 (32)122

魂怳怳以失度,巡迴塗而下低。

既懲懼於登望,降周流以徬徨。

步甬道以縈紆,又杳而不見陽。

排飛闥而上出,若遊目於天表,似無依而洋洋。

 

(31)121

神明 鬱として其れ特り起ち,遂に偃蹇【えんけん】して上躋【じょうせい】し。

雲雨を太半に軼【す】ぎ,虹霓【こうげい】棼楣【ふんびん】に迴帶【かいたい】す。

輕迅【けいじん】と僄狡【ひょうこう】と雖も,猶お【ろうち】して階【のぼ】ること能わず。

井幹【せいかん】を攀【よじ】って未だ半ならざるに,目 眴轉【げんてん】して意【こころ】迷い。

櫺檻【れいかん】を舍【す】てて卻【しりぞ】き倚り,顛【てん】墜つるが若くにして復た稽【とどま】る。

(32)122

魂怳【こんきゅう】怳【きゅう】として以て度を失い,迴塗【かいと】を巡りて下低す。

既に登望に懲懼【ちょうく】し,降りて周流して以て徬徨【ほうこう】す。

甬道【ようどう】を步して以て縈紆【えいう】し,又た杳【ようじょう】として陽を見ず。

飛闥【ひたつ】を【おしひら】いて上り出づれば,目を天表に遊ばしむる若く,依る無くして洋洋たるに似たり。

長安付近図00 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (31)12(建章宮の高楼)-1

神明鬱其特起,遂偃蹇而上躋。

軼雲雨於太半,虹霓迴帶於棼楣。

雖輕迅與僄狡,猶眙而不能階。

攀井幹而未半,目眴轉而意迷。

舍櫺檻而卻倚,若顛墜而復稽。

 

(下し文) (31)121

神明 鬱として其れ特り起ち,遂に偃蹇【えんけん】して上躋【じょうせい】し。

雲雨を太半に軼【す】ぎ,虹霓【こうげい】棼楣【ふんびん】に迴帶【かいたい】す。

輕迅【けいじん】と僄狡【ひょうこう】と雖も,猶お【ろうち】して階【のぼ】ること能わず。

井幹【せいかん】を攀【よじ】って未だ半ならざるに,目 眴轉【げんてん】して意【こころ】迷い。

櫺檻【れいかん】を舍【す】てて卻【しりぞ】き倚り,顛【てん】墜つるが若くにして復た稽【とどま】る。

 

(現代語訳)

(建章宮の高楼)建章宮の神明台は、むくむくと身を起こして独りだちとなり、引き続き高々と上へ上へと高さ五十丈ものぼっていく。

三分の二ほどのところで雲雨を追い抜き、最上層の棟と梁のまわりには虹が帯のようにとりまいている。

たとえ身軽く早業のものや、すばしこいものであっても、これにはたじろいて見つめるばかりで、そこまで一気にのぼりつくことができない。

井幹楼をよじのぼったら、まだ半分にも達しないのに、目はくらみ心は動転するほどだ。

手すりをはなしたら、後すざりしてよりかかろうとすれば、今にも転落しそうな気がして、またふみとどまる。

nat0017gif615 

(訳注) (31)12(建章宮の高楼)-1

神明鬱其特起,遂偃蹇而上躋。

(建章宮の高楼)建章宮の神明台は、むくむくと身を起こして独りだちとなり、引き続き高々と上へ上へと高さ五十丈ものぼっていく。

神明 神明台の名。『漢書』の郊祀志に「其の南(建章宮の南)に玉堂・璧門・大鳥の属あり。神明台・井斡樓を立つ。(ともに)高さ五十丈(116m)、輦道相属なる」。顔師古の注に「神明台は上に九室あり、恒に九天道士百人を置く。井幹樓は木を積みて高くし、樓を為すこと井幹の形の若し。井幹とは、井上の本欄なり。其の形或は四角或は八角。西京の賦に『井幹畳りて百層』と云ふほ即ち此の楼なり」とある。井幹は木で方形に組んだ井げた。その形をなす楼閣。

 むくむくと高く興起るさま。

偃蹇 高く上へあがるさま。

 上になって行くこと。

 

軼雲雨於太半,虹霓迴帶於棼楣。

三分の二ほどのところで雲雨を追い抜き、最上層の棟と梁のまわりには虹が帯のようにとりまいている。

 後より前に出る。

太半 三分の二ほど。あらかた。

虹霓 にじ。雄を虹雌を完という。

棼楣 二重屋根の棟梁。

 

雖輕迅與僄狡,猶眙而不能階。

たとえ身軽く早業のものや、すばしこいものであっても、これにはたじろいて見つめるばかりで、そこまで一気にのぼりつくことができない。

軽迅 身軽で早い。迅とは、ここかと思えばまたあちらというような意味。

僄狡 すばしこい。天性野生的にすばしこい。

 愕は、思いがけぬことに後すぎりしてたじろぐ。胎は、おどろいて両税すること。

 

攀井幹而未半,目眴轉而意迷。

井幹楼をよじのぼったら、まだ半分にも達しないのに、目はくらみ心は動転するほどだ。

 

舍櫺檻而卻倚,若顛墜而復稽。

手すりをはなしたら、後すざりしてよりかかろうとすれば、今にも転落しそうな気がして、またふみとどまる。

櫺檻 れんじの手すり。欄干。

倚・稽 絹者は、身を託する。後者は、留まる。

 

漢長安図 

建章宮

武帝太初元年、柏梁殿が火災に遭ったため、二月に建設を始めたのが 建章宮である。 建章宮は長安城外、未央宮の西にある。

『漢書』,『史記』,『郊祀志』によれば、鳳闕がその高さ二十余丈(46m)、漸台その高さ二十余丈、 神明台の楼その高さ五十丈(凡そ116m)

『水経注』によれば建章宮は周回二十余里(8.3km)。鳳闕の高さを十七丈五尺(40m)という。

『雍録』によれば、建章宮は長安城外にあるが、閣道によって未央宮と連絡している。

『三輔旧事』によれば、神明殿は建章宮に属する。

 

建章宮の正門、璧門はその高さ二十五丈(凡そ58m)

『三輔旧事』によれば、建章宮は周回三十里。東に別に鳳闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m) 遥か遠くを望むことができる。宮門の北には圓闕があり、その高さ二十五丈(凡そ58m)。その闕の上には銅でできた 鳳凰像がある。のちに赤眉賊がこれを壊した。

『廟記』によれば建章宮の北門はその高さ二十五丈(凡そ58m)。鳳凰闕その高さ十七丈五尺(40m)

楊震著『関輔古語』によれば、長安の民俗では。鳳凰闕を貞女楼と呼んでいた。