(班固)《東都賦》(3) 他の農民軍にくらべ比較的紀律もあり、結局王莾の宮殿に迫り、その内部の裏切りもあって王莾は殺される。赤眉軍は長安に入城したが、末央宮を始め市街を焼き、また県邑を掠奪、漢の帝王后妃の墓をあはき、西都二百年の文物はほとんど破壊された。赤眉軍は桂官に駐屯し、赤眉に推された牧童劉盆子は皇帝となり、城中にいたが、統制のとれぬ赤眉軍は伏敵に潰走し、


2014年1月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(3)#2(光武帝の即位)-1 文選 賦<113―1>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1005 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3573
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 250 《月蝕詩效玉川子作》韓愈 中唐詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3576 (01/10)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 10 -9 臨江仙七首其五 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-406-10-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3577
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《東都賦》(3)2(光武帝の即位)-1 文選 賦<113118分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1005 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3573

 

 

西漢末、王莾の失政で、大規模の農民一揆が起こった。刑州の餞饉を磯に農民は結集し王葬の軍を破り、瑯琊の農民もたち上がり、また王の軍を破り、数十万人にふくれあがった。これが眉を赤くそめたいわゆる赤眉軍といわれる農民軍であり、勢力は黄河南北の大平原に広がった。また黄河北岸の大平原(冀州・兗州)にも大小の一揆が起こり、数百万になったといわれる。刑州、浪郡と冀・兗二州との農民蜂起に加えて、地主の指導する農民軍があった。これが後に光武帝となる南陽の蒙強劉秀の軍隊である。これは他の農民軍にくらべ比較的紀律もあり、結局王莾の宮殿に迫り、その内部の裏切りもあって王莾は殺される。赤眉軍は長安に入城したが、末央宮を始め市街を焼き、また県邑を掠奪、漢の帝王后妃の墓をあはき、西都二百年の文物はほとんど破壊された。赤眉軍は桂官に駐屯し、赤眉に推された牧童劉盆子は皇帝となり、城中にいたが、統制のとれぬ赤眉軍は伏敵に潰走し、「大いに驚き乱れ走り、自ら川谷に投じ、死者十余万」という惨事が起こり、関中の飢饉も重なって、「人は相食ひ、城郭は皆空しく、白骨は野を蔽ふ」であった。光武帝はこれを鎮定して、劉盆子を許した(范文瀾著『中国通史簡編』と『後漢書』とによる)。

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

天人致誅,六合相滅。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

壑無完柩,郛罔遺室。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

 (3)2-1

「往者【むかし】王莽【おうもう】 逆を作して,漢祚【かんそ】中ごろ缺【か】く。

天人 誅を致して,六合 相い滅す。

時の亂に于【おい】て,生人 幾【ほと】んど亡し,鬼神 泯【びんぜつ】す

【たに】には完柩【かんきゅう】無く,郛【さと】には遺室罔【な】し

 (4)#2-2

原野は人の肉に厭【あつ】せられ,川谷は人の血を流す。

秦項の災も猶お半【なかば】なるを克【あた】わず,書契より以來 未だ之【これ】を紀する或【あ】らず。

故に下人 號【な】いて上訴し,上帝 懷いて 降監【こうかん】す。

聖皇せり

唐時代 韓愈関連01 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(下し文) (3)2-1

「往者【むかし】王莽【おうもう】 逆を作して,漢祚【かんそ】中ごろ缺【か】く。

天人 誅を致して,六合 相い滅す。

時の亂に于【おい】て,生人 幾【ほと】んど亡し,鬼神 泯【びんぜつ】す

【たに】には完柩【かんきゅう】無く,郛【さと】には遺室罔【な】し

 

(現代語訳)

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

 

 

(訳注) (3)2-1

光武帝(こうぶてい、前6 - 57年;在位期間     25 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。

 

 

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

漢祚中缺 祚は皇位、中欠は王莾が漢を奪い、南陽(後漢)の劉秀が光武帝となるまで十四年の空白があった。

 

天人致誅,六合相滅。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

 

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

生人 生民。唐の太宗の諱を避け人とす。

鬼神 死者の魂塊、それが人体のまま冥土にあるもの。

 

壑無完柩,郛罔遺室。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

完枢 完全な死骸。『釈名』に「牀に在るを尸といひ、棺にあるを柩といふ」。
漢魏隋唐の洛陽城