張衡《西京賦》(2) 肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 284 《遊城南十六首:贈張十八助教》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3746 (02/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743


衡ちょう こう(78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。青年時代洛陽と長安に遊学し、太学で学んだ。永元十四年(102年)、張衡24歳の時,南陽郡守の幕僚(南陽郡主簿)となった。永初元年(107年)には、29歳で洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」を著した(これらを総称して「二京賦」という)。当初は南陽で下級官吏となった。永初五年(111年)、張衡34歳の時、京官の郎中として出仕した。元初三年(116年)張衡38歳の時、暦法機構の最高官職の太史令についた。建光二年(122年),公車馬令に出任した。永建三年から永和元年(128-136年)の間、再び太史令を勤めた。最後は尚書となった。

30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算網論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」、「四愁詩」、「同声歌」がある。

 

 

西京賦 (1)#1-1

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

  有憑虛公子者,心奓體忲,

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

言於安處先生曰:

その公子が安処先生に向かって口を開く。

夫人在陽時則舒,在陰時則慘,此牽乎天者也。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

 (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

小必有之,大亦宜然。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

化俗之本,有與推移。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

 (3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

高祖都西而泰,光武處東而約,

政之興衰,恆由此作。

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

京兆地域図00 

(1)#1-1

憑虛公子という者有り,心 奓【おご】り體 忲【おご】り,

雅【つね】に博古を好んで,舊史氏に學び,是を以て多く前代の載【こと】を識る。

安處【あんしょ】先生に言って曰く:

夫れ人 陽時に在りては則ち舒【やす】く,陰時に在りては則ち慘【うれ】い,此れ天に牽かるる者也。

(2) #1-2

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

(3) #1-3

何を以てか諸【これ】を覈【あきらか】にする?秦は雍に據りて強く,周は豫に即【つ】きて弱し。

高祖は西に都して泰【やす】く,光武は東に處りて約なり。

政【まつりごと】の興衰は,恆【つね】に此に由りて作る。

先生 獨り西京の事を見ずや?請う 吾子の為に之を陳べん。

長安城漢唐 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

小必有之,大亦宜然。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

化俗之本,有與推移。

 

(下し文)

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

 

(現代語訳)

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

 

(訳注) (2) #1-2

西京賦

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

張平子 (78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。三輔、京師に遊び、五経・六芸に通じ、天文・歴算・陰陽などに詳しく、安帝・順帝に仕え尚書となる。西京、東京の二篇は永元年間に作られた。でき上がるまで十年を要した(『後漢書』本伝)。本伝に「永元中、天下承平日久しく、王公より以下移【おごり】をこえざるはなし。衡乃ち班固の両都に擬して二京の賦を作り、以て諷諌す。」とある。永元は和帝の年号。十五年間続く。この末年ごろにはできあがっていたか。孫文青氏の「張衡年譜」では安帝の永初元年、三十歳のころに完成したという。

 

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

逸 安らか、楽なさま。

労 苦しい、つらい。

 

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

驩 驩/歓【かん】ともに打ち解けて楽しむこと。よろこぶ。

褊 心が狭く性急な.

 

小必有之,大亦宜然。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

小・大 小市民。下々のもの。えらい人。

 

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

天地 陰陽の季節と地の沃瘠。肥沃(沃)であるか不毛な土地(瘠)から教育が向上すると低下する。

 

化俗之本,有與推移。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

與推移 與は組になる。推移は移りかあり、転換する。
幻日環01