霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。

 
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96

《秋下荊門 李白 4index-5 1-5 725年開元十三年25歳<96> Ⅰ李白詩1265 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4873

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

 

年: 725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 七言 

詩題: 秋下荊門 

作地點: 荊門山(山南東道 / 峽州 / 宜都

及地點:  荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     

剡縣 (江南東道 越州 剡縣) 別名:剡中     

 

秋下荊門

霜落荊門江樹空,布帆無恙掛秋風。 

此行不為鱸魚鱠,自愛名山入剡中。 

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

 

(秋 荊門を下る)

霜は荊門に落ちて江樹空し、布帆【ふはん】 恙【つつが】無く  秋風に挂く。

此の行  鱸魚【ろぎょ】の鱠【なます】の為ならず、自ら名山を愛して剡中【せんちゅう】に入る。 

toho0824004 

 

『秋下荊門』 現代語訳と訳註

(本文)

秋下荊門

霜落荊門江樹空,布帆無恙掛秋風。 

此行不為鱸魚鱠,自愛名山入剡中。 

 

(下し文)

(秋 荊門を下る)

霜は荊門に落ちて江樹空し、布帆【ふはん】 恙【つつが】無く  秋風に挂く。

此の行  鱸魚【ろぎょ】の鱠【なます】の為ならず、自ら名山を愛して剡中【せんちゅう】に入る。

 

(現代語訳)

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

荊州001

(訳注)

秋下荊門

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

○荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。
725
年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵を去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。
 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

86 《渡荊門送別 李白 5》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 <86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818


霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
布帆無恙 「行人安穩、布帆無恙」(旅人にとって平穏無事な船旅で、布帆に柔らかな追い風が吹いて何の問題もなく進む。)ということ。

 

此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。

呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

鱸魚鱠 張翰の故事、故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。

『晋書・張翰伝』「蓴羹鱸膾」晋の張翰が、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事。

剡中 剡縣、会稽に隷して、名山水が多い。隠遁者が多く住んでいたということで、王之猷が会稽の山陰で、雪夜舟に棹して載安道を訪問した故事を引いたものである。