西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

 
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1111 《西施》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <1111> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

 

 

本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。


 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。


 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  西施

及地點:       

苧蘿山 (江南東道 越州 諸)     

館娃宮 (江南東道 蘇州 蘇州)     

 

 

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

西施越溪女,出自苧蘿山。

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

浣紗弄碧水,自與清波閒。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

 

皓齒信難開,沈吟碧雲間。

句踐徵豔,揚蛾入關。

提攜館娃宮,杳渺詎可攀。

一破夫差國,千秋竟不還。

 

 (西施)

西施は越溪の女,苧蘿山より出づ。

秀色 今古を掩い,荷花 玉顏を羞づ。

紗を浣うて 碧水を弄し,自ら清波と閒なり。

皓齒 信に開き難く,沈吟す 碧雲の間。

句踐 豔を徵し蛾を揚げて 關に入る

提攜す 館娃宮,杳渺 詎ぞ攀ずべけんや。

一たび 夫差の國を破り,千秋 竟に還らず。

 

白紵舞001 

『西施』 現代語訳と訳註解説

(本文)

西施

西施越溪女,出自苧蘿山。

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

浣紗弄碧水,自與清波閒。

 

(下し文)

(西施)

西施は越溪の女,苧蘿山より出づ。

秀色 今古を掩い,荷花 玉顏を羞づ。

紗を浣うて 碧水を弄し,自ら清波と閒なり。

 

(現代語訳)

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

謝靈運『東陽溪中贈答二首』 その(2)

可憐誰家郎。緣流乘素舸。

但問情若為。月就雲中墮。

憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。

但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。

そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。

越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。

王維《西施詠》

豔色天下重,西施寧久微。

朝仍越溪女,暮作宮妃。

賤日豈殊眾,貴來方悟稀。

邀人傅香粉,不自著羅衣。

君寵益嬌態,君憐無是非。

當時浣紗伴,莫得同車歸。

持謝鄰家子,效顰安可希。

南池江 採蓮002 

 

西施越溪女,出自苧蘿山。

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。

苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡にる。

 

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

 

浣紗弄碧水,自與清波閒。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。
李白図102