李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

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讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

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讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

華州から秦州同谷成都00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

(下し文) -3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉にい,華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

(現代語訳)

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

武漢03 

(訳注) -3

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

草間人 草莽の志士。草莽:① くさむら。田舎。②民間。在野。世間。

 

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

子玉 崔子玉のこと、崔瑗,字を子玉という。東漢の書法家である,涿郡安平(今屬河北省)の人。「四殺」という座右の銘としていた。それは、人は欲を持つことで自分を殺し、財産を残すことで子孫を殺す。 政治を間違うと民を殺し、 学問教育を間違うと天下を殺す。と同じ姓であったのでこう呼んだが、書が上手かったのであろう。

 

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

 

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

管與鮑 管鮑の交わりのこと。管鮑の管は管仲、鮑は鮑叔を指し、この言葉は管仲と鮑叔の間の友情をうたったもの。それをよく物語っているのが、「史記」管晏列伝に記されている、宰相となった管仲が語っった言葉である。
李白図102